自治体職員の読書ノート

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【911冊目】クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

「古典」とか「名著」といわれることで、ある本を手に取ることもあるが、そうした「カンムリ」の後光が、かえってその本の魅力を隠してしまうこともある。

『悲しき熱帯』と言えば、民族学文化人類学の分野では不動の名著であり、構造主義の世界でも古典とされている。だが、そうしたことを抜きにしても、本書はひとつの旅行記として、あるいは異文化体験記として、べらぼうに面白い。

「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」


本書でレヴィ=ストロースが旅をするのはブラジルである。新興の都市から入り、河を遡ってジャングルに分け入り、未開の先住民を訪ねる。歴史が価値をもつヨーロッパの都市とは対照的な、新しさこそが価値、と思えるような南米の都市に戸惑い、侵略的な開拓の現状に眉をひそめ、ジャングルの奥地で自然の美しさに感動する。そうしたいわゆる「フツーの旅行体験」がストレートに綴られているのだが、その中に時折、抜き身のように鋭い洞察が光る。

「真実というものの本性は、真実が身を隠そうとするその配慮の中に、すでにありありと窺われる」


後半、いよいよ先住民の生活に分け入り、その生活ぶりを観察するところは、まさしく本書の白眉であろう。ふんだんな写真とイラストが登場し、人々とのやり取りがリアルに記述され、その中で感じられたことが、やはりたいへん率直に綴られている。彼らの習慣や風俗、考え方などにかなり踏み込んでいるのだが、一方で、旅行者としての、言いかえれば観察者としての自身の立場を自覚し、外側からの視点に徹底してこだわっているのが印象的。

「自分のところで行動すれば他のものを理解することは断念せざるをえず、すべてを理解しようとすれば如何なる変革も諦めなければならない」

徹底的に具体的で、細部にこだわるレヴィ=ストロースのスタンスは、しかしそこから一定のパターン、構造をつかみだすと、一挙に大胆に、西洋文化との比較にとりかかり、そこから人間文化の構造的な本質に達してみせる。その「個別事例」と「一般理論」の往還がとにかく自在で素早いのだ。そのため、読み手はブラジル先住民の一見野蛮ともみえる風習に驚きながら、気がつくとその「意味」を目の前に提示され、人類文化の最前線に連れ出されるのだ。そこには安易な西洋文明批判も、先住民文化の蔑視も、ない。あくまで著者の視点は両者の間に優劣づけや価値づけをしない。

「少数の社会を比較する時、それらが互いに著しく異なったものに見えることは確かだとしても、考察の範囲が拡がれば、そうした差異は縮小する……そのとき人は、どんな社会も真底から善くはないが、だからといって、どんな社会も絶対的に悪くはないということを発見する」


旅の果てにレヴィ=ストロースが行きつくのは、西洋中心主義一本槍では到達しえない、「もう一歩先」の人類の姿であり、その本質である。その到達を、抽象的な思索や論理の積み上げではなく、細部の観察と調査の組み合わせによってなしえたことに、おそらく本書の凄みはあるように思う。そして、その点こそが、本書が「名著」であり「古典」であるゆえんなのだろう。人間や社会をとらえる「方法」を、本書はたった1冊で180度転換してしまったのだから……。

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」