自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【745冊目】高山宏『終末のオルガノン』

終末のオルガノン (Fantasmal (1))

終末のオルガノン (Fantasmal (1))

理性と啓蒙の時代は、同時に寓意と図像に満ちた、マニエリスティックな世界観をはぐくんだ時代でもあった。本書では、この著者ならではの膨大な知識と博学に裏付けられた、近代ヨーロッパの「裏側」が、豊富な図版とともに堪能できる。

俎上に上るのは、テーブルのもつ寓意と意味、デフォーやスウィフトの小説と「計量魔」の関係、ユートピア文学の系譜スピノザにみるレンズ研磨と実存、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ……といっても、こんな程度の説明ではなんのことやらさっぱり、だと思う。しかし少なくとも、本書が近代を見つめる独特の視座をもっていること、それは近代の建前とその裏側の間の薄い薄い皮膜にメスを入れてその「あいだ」にあるものを暴きだそうという、ブラックジャックばりのきわめて微妙できわどい知的作業の連続であるということは、書いておきたい。本書に限らず、高山宏氏の文章は独特のうねるような流れとメタフォリカルでやや筋道がわかりにくい展開をもつが、それは、書かれている事象自体がそのような、一筋縄ではいかない入り組んだ多重構造をなしているためなのだ。

「テーブル」について取り上げた最初の章をみてみると、そこに展開されているのは、まずテーブルの文化史である。テーブルを描いた絵画がふんだんに展示され、その中でテーブルというものがどのような意味やイメージをもたれているのかが明らかにされる。まず、歴史的にはテーブルは「板」である。「十戒」が記された板もテーブルであった。さらに、近代におけるテーブルは部屋の中心であり、バラバラのものを一堂に集め、秩序を生みだすことができる存在である。それは権威であり、秩序であり、構造である。ここで登場するのがジョン・ロック。ロックは、生まれたばかりの人間を「タブラ・ラーサ(なめらかな板)」(板はテーブルであることを思い出してほしい)と考え、その上に経験が文字を書き込んでいくことで人間精神が形成されるとした。つまり、人間理性が周囲の混沌とした断片を集めて秩序化し、自分にとっての一宇宙に変える機能を、その「板」はもっている。したがって、客間にある「テーブル」と人間の理性は、同じような機能を果たしていることになる。一方、秩序化されない要素はテーブルの上から「排除」される。みずからに都合の良い価値や事実だけがテーブルの上に乗り、恣意的に構造化され、秩序だてられるのだ。

話はまだ終わらない。著者はさらに、こうした「近代の権化」としてのテーブルの役割が文字通り「ひっくり返される」場面に注目していく。アンチ・モダニズムとしての「アンチ・テーブル」の系譜である。意識的ではないにせよ(むしろ意識的ではないがゆえに、かえって)、テーブルのもつ「寓意」が皮肉られ、パロディ化され、否定されることが、近代理性主義そのもののアンチテーゼになっているのである。実際、奇麗に料理が盛り付けられたテーブルを「ひっくり返す」ことには、どこか秩序だったものへの反発と、それが一気に崩れ去ることへの一種の快感があることは否定できないだろう。

とまあ、テーブルひとつだけでもこれだけの内容が、しかも図版をたっぷり使いながら解説され、解き明かされるのだ。これが全編、さまざまなテーマにわたって続くのだから、これはものすごい濃密・絢爛・異形の一冊ということになる。好みは分かれるところだろうが、「理性」とか「啓蒙」とかいうフレーズに違和感を覚える方なら、読んでつまらないということはないと思う。