自治体職員の読書ノート

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【360冊目】福田アジオ「番と衆」

番と衆―日本社会の東と西 (歴史文化ライブラリー)

番と衆―日本社会の東と西 (歴史文化ライブラリー)

「市民」活動やコミュニティに関する本をいくつか読んでいると、それでは日本ではどうだったのか、という問いかけが自然と浮かんでくる。ヨーロッパの都市におけるを基礎づけてきたサロンやコーヒーハウスがなぜ日本にはなかったのか、あるいはそれに代わる何かがあるのか。また、日本の歴史や民俗学の流れの中で、NPOのようなものはどのように位置づけられるのか。

そういう関心から手に取った本のひとつが本書である。これは東西比較、特に関東近県と近畿の比較を試みたものなのだが、イントネーションの違いやそば・うどん、朝にご飯と炊く関東と昼に炊く関西といった食文化の違いにはじまり、家を屋敷林や生垣、塀で囲う関東と「垣根を作らない」関西といった住居形態の論及から、本書の重要な指摘である「番と衆」の違いに入っていく。

「衆」とは近畿地方を中心にみられる合議制の集団で、これは村全体から一定の年齢層、人数で選出される(その形態はいろいろだが、例えば年長者が抜けて、未加入の村人のうち最年長のものが入る)。これが村全体のいわば意思決定機関となる。さまざまな行事は村単位で行われ、苗代や墓場も多くは村単位でまとめられ、管理される。

一方、関東では「番」という形態が多い。これは文字通り順番に各「家」を回ってくるのであり、番となった家は祭礼の仕切りなどを行う責任を負う。ここでは村の行事といえど「家」単位であり、関西の「衆」的な組織であっても、家から一人(たいていは家長)が加入し、家単位で入れ替わっていく。

本書は、このようにして関東と関西の比較をきわめて詳細に行っている。そのルーツがどこまでさかのぼれるか定かではないが、少なくとも、現在のように交通機関が発達しているわけでもない当時にあっては、「西」と「東」はそれぞれ独自の文化的発展を遂げてきたと思われる。これは日本全体に言えることであり、そもそも「日本におけるコミュニティ」など総体的に把握できるものではないのである。言い換えれば、そのユニークな多様性が失われてきたのが近代から現代に至る日本であったといえるように思われる。