自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2194冊目】今井照『地方自治講義』

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

 

 

 「今の私たちができることは、自治体の原点をもう一度確かめながら、現代社会の中で自治体を再建していく取り組みです。何度も国策としての合併に痛めつけられながら、そのたびに自治体は自治を取り戻す動きをしてきた。それは結局のところ、私たちは一人では生きていけないからです。地域社会のあり方は変わってこざるを得ませんが、支え合って生きていかなければならない限り、広い意味での地域社会は必ず必要になってくるし、その結節点としての制度は自治体にしかない。だから私たちは自治体を使いこなすことが必要なのです」(p.100)



新年度一冊目は、誰よりもまず今年の新人公務員すべてに読んでほしい、出色の地方自治論だ。どこかで読んだような、既成の説明や解釈がひとつもない。地方自治の本質と歴史に遡りつつ、現在の自治のありよう、そして将来像に至るまでを、新書一冊の中にこれでもかと詰め込んだお得本である。

自治体の歴史を語る第2章では、明治維新より前の村や町、藩は「空間」ではなく「関係」の概念だった、という指摘が新鮮だった。もちろんそこには一定の領域はあるが、それは「「〇〇村」という集団に属する人たちが住んでいるからここは「〇〇村」になる」という順番なのだそうだ。

だから、人はどこに引っ越しても「〇〇村」「〇〇町」からは逃れられない。一方、空間概念ではないことから、日本中にはどこの村や町にも含まれない地域が膨大に存在した。それが大きく変わったのは明治維新。それまでは自分の所属する「村」や「藩」に払っていた税(年貢)を、個々人が国に収めるように変えたのだ(ふるさと納税が最近いろいろ問題になっているが、あれって本質的には江戸時代の納税システムへの先祖返りだったのかもしれない)。そして、その管理のため戸籍を整備し、戸籍の管理が自治体に押しつけられた。そのためすべての国土は自治体によって分割され、「人の集団」から「一定の分割された国土」に変質していったのだという。

近現代の自治体史では、とにかく国の政策に対する批判が痛烈だ。間違いだらけで誰も得をしていない「平成大合併」(町や村の規模が小さければ、その分は都道府県が補完すればよい、とニベもない)、補助金ありきで行われる政策選択の結果、地域にまったく必要とされないような事業や建物に予算がつく愚かしさ(国に頭を下げに行くのではなく、国が視察に来るような政策を考えろ、という。大賛成だ)。

 

他にも憲法の制定過程への言及(地方自治に関する部分は、GHQの意向に対して、日本の官僚側の「骨抜き」が「うまくいってしまった」例だという)から「市民参加」「少子高齢化と地方格差」など、地方自治をめぐる主要なトピック「全部入り」。文章も講義調で読みやすく、入門書としてイチオシしたい一冊だ。

【2193冊目】ジム・トンプソン『残酷な夜』

「だが友よ、ほかのどこに行こうというのだね? この、絶えず狭まっていく挫折の輪の中で、どこに逃げ場があるというのだ?」(ジム・トンプソン『残酷な夜』p.308)

 

 

残酷な夜 (扶桑社ミステリー)

残酷な夜 (扶桑社ミステリー)

 

 
ジム・トンプソン初読。殺し屋らしき男カール・ビゲロウの視点で物語は進む。

下宿の主人であるジェイクが狙われているようなのだが、事実はどうもはっきりしない。ジェイクの妻フェイとの関係やら、そこで働く脚の悪い娘のルースとの関係、ビゲロウのボスらしい「元締め」。

徐々に進むように見える物語が急転直下、とんでもないスプラッターになるのが、なんとラスト数ページ。その極端な振れ幅は、観覧車だと思っていた乗り物が突然フリーフォールになるようなもの。

誰も予想のつかないラストに、読み終わってしばらく呆然となった。これまで読んだことのない衝撃を、どうぞ。

【2192冊目】向田邦子『父の詫び状』

 

「思い出はあまりに完璧なものより、多少間が抜けた人間臭い方がなつかしい」(p.41)

 

 

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

 

 
「あとがき」を読んでびっくりした。著者は本書に収められたエッセイを、利き手とは反対の左手で書いたという。乳癌をわずらい、輸血が原因で血清肝炎になり、右手が全然利かなくなってしまったのだ。しかも本書は、著者の第一エッセイ集。それがこれほどの名品揃いなのだから、なんとも空恐ろしい才能である。

暴君だった父の記憶や、戦中から戦後にかけての日々が、息をするように書かれている。台所の音も、食卓の匂いも伝わってくる。そしてまた、その中に語り手である著者自身の声が混じって、響いてくるようだ。

家族の記憶がこれほど鮮明であり、またそれを、これほど生き生きと描けることにも驚かされる。特に印象的なのが、威張り散らして怒ってばかりだが、実は小心で不器用な父の姿。おそらく著者は、腹が立ってしょうがなかった父のことを、こうして文章に書き起こすなかで、はじめて懐かしく思い出し、冷静に捉えなおすことができたのではないだろうか。

【2191冊目】田山輝明『成年後見読本』

 

成年後見読本 第2版

成年後見読本 第2版

 

 

成年後見制度の概要をわかりやすくまとめた一冊。単なる制度説明にとどまらず、改正前民法との比較、諸外国の制度の紹介、さらには「より良い成年後見制度」の提案まで書かれている。

そもそも戦前の成年後見制度は、「家」の財産保護が主目的だった。家長が適切に財産を管理できなくなった時に、代わりに財産を維持するための制度だったのだ。これを著者は「自益後見人」という。

だが、現在の後見制度は本来「他益後見人」である。つまり、家のため、家族のためではなく、あくまで本人の権利を守り、財産を維持するための制度なのだ。

とはいえ、成年後見制度とは本来、本人の能力を剥奪すること。それだけに慎重にならざるを得ないはずなのだが、現在の制度では剥奪の度合いの高い後見類型が多い。著者はこれが保佐類型中心になるよう制度を改め(保佐類型のほうが制限の度合いが低く、本人のできることが多い)、その分、後見類型の場合は医療同意も含めた同意権を明確に後見人につけておくべきだという。

このテーマ、福祉関係の仕事をしている人以外にはあまり関係がないように思えるかもしれない。だが、この超高齢社会にあって、成年後見制度を知っているか知らないかの違いは大きい(その割にちゃんと知っている人は少ない)。パンフレットのようなものもあるので、一度は目を通しておくとよい。

 

【2190冊目】杉浦日向子『百物語』

古より百物語と言う事の侍る 不思議なる物語の百話集う処 必ずばけもの現われ出ずると

 

百物語 (新潮文庫)

百物語 (新潮文庫)

 

 


ホラー、というのではない。怪談、あるいは「奇妙な話」とでもいうべきものが、九十九話。百話目がないのは、この「百物語」のお約束。

障子に浮き出る顔の話。己の姿を見た男の話。鉄を食う化け物の話。瞼の上で踊る小さなもののけの話。恐怖や怪異は、時にさらりと、時におどろおどろしくあらわれる。説明は、ない。

毛筆で書かれているのだろうか、線がとにかく美しい。同じ作家とは思えない多彩さにも驚かされる。シンプルな線描だけのもの、モノクロームが鮮やかなもの、水墨画風のもの、太い筆で大胆に描かれたもの・・・・・・。それは正しく「マンガ」であって、同時に江戸時代の浮世絵や黄表紙などの末裔なのだ。

どの物語も、江戸時代の人びとが生きていた世界のすがたを、当時の人びとの目から捉えるように描かれている。西洋近代合理主義などという野暮なものはまだなく、幽霊も妖怪も魑魅魍魎も身近な存在であった時代。怪異譚であるにも関わらず、この本を読んで感じるのは、そんな江戸の生活への憧憬なのである。