【1900冊目】マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』

- 作者: マルグリット・ユルスナール,多田智満子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2008/12/16
- メディア: 単行本
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この本は凄い。これまで読んだ本の中でも、別格の一冊だ。
ローマ五賢帝のひとりハドリアヌスが、死を目前にして、その生涯を若きマルクス・アウレリウスに語るという、いわゆる「回想録」のスタイルなのだが、読んでいるうちに何度も、これが「ホンモノの」回想録であるかのような錯覚にとらわれた。これが20世紀フランスの女性作家によって書かれたとは、読み終えた今でも信じられない。
それほどにこの本は、皇帝としての日々のディテールからその「精神」のあり方まで、徹底して「ハドリアヌス」になりきっている。特に、その「皇帝であり、人間である」者だけが持つであろう精神のかたちを、ここまでリアリティをもって描き出しているのは圧巻だ。皇帝としての決断と葛藤、人間としての苦悩と矛盾、にもかかわらずそれらを乗り越えようとする精神の力。それらがすべて、この本の中に詰まっている。
ユルスナールは、ハドリアヌスを決して安易に持ちあげない。豊かな感情に振り回され、特に愛する美少年アンティノウスの死にあっては、目も当てられないくらいの半狂乱となる。そんな人間らしい人間が、ローマ皇帝としての地位に就くというのはどういうことなのか。そのことを、ハドリアヌスの内面に潜って赤裸々に描きだすユルスナールの筆法はものすごい。「リーダーとなったタダの人間」の精神と言葉と行動のあるべき姿が、ここにはぎっしりと詰まっている。世のリーダーはヘタなリーダー本を100冊読むより、本書を100回読むべきであろう。
「貧乏人が貧窮のゆえの不如意に悩むように、わたしは自分の財力や権力から生ずるさまざまの不都合に苦しんだ。一歩あやまればわたしは、支配者然たる態度をとれば相手を誘惑できるものだという作り話を受け入れることになったかもしれぬ。だがここから嫌悪感、あるいはおそらく愚鈍さがはじまるおそれがあるのだ」
「わたしは人間を軽蔑しない。もし軽蔑していたなら、人間を支配しようとするいかなる権利も、またいかなる理由も私にはないであろう」
「ほとんどすべての者が、自分の正しい自由と真の隷従とについて同様に認識を誤っている。彼らは己を拘束する鉄鎖を呪うが、時としてそれを自慢にしているように見える。また一方では、彼らは空しい放縦のうちに日を過ごし、ごく些細な拘束をすら己に課すことを知らぬ」
「わたしの理想は、感覚と目とのあらゆる明証にもかかわらず定義しがたい《美》ということばに要約されていた。わたしは世界の美に責任を感じた」
個人的には、本書に描かれた内容が史実と合っているかどうかは、どうでもいい。大事なのは、ハドリアヌスという傑出した「精神」のありようが、このようにして言葉によって紡ぎだされたということなのだ。座右に置きたい一冊が、また増えた。