【1775冊目】岩本素白(池内紀・編)『素白先生の散歩』
- 作者: 岩本素白,池内紀,池内紀[解説]
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2001/12/07
- メディア: 単行本
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「都会ならば人も知らぬ場末の町々、田舎ならば汽車に遠い廃村荒駅、忘れられている流れ、寂しい渡し、これから私の気ままに書いて行こうとするのは、そんなつまらぬ所である」(p.48)
素白は号。本名は岩本堅一。明治16年、東京・麻布に生まれ、中学教師を経て大学でも教鞭をとった。窪田空穂はその人となりを「単純と純粋を極めた人」と形容した。
何をした人かと問われれば、ちょっと答えるのはむずかしい。ただひたすらに散歩をし、その風景を随筆に編んだ。生涯の著作はわずか3冊、随筆集は2冊のみ。だがその随筆は、絶品だ。「先生」と自然に呼びたくなるような風雅と風格が、行間に漂っている。
「唯ぼんやりと歩き、ぼんやりと眺めるのを好むようになった。「但看花開落。不云人是非。」この句を作った人の心は相当深いものがあると思うが、私も今は微笑してこの言葉を受け容れることが出来る。啻(ただ)に人生の事のみではない。景色に対(むか)っても何も特別に佳景であることを要求しない。佳ければ佳いなりに、平凡なら平凡なりに、静にそれを眺める。敢てその勝劣は言わないのである」(p.68)
素白先生が歩くのは、明治から戦後にかけて大きく変貌した東京や埼玉、茨城などの町である。自然が多く残り、昔ながらの寺社仏閣にその地の歴史が感じられた町の風景が、そのままに活き活きと描写される。一方で、その風景の変貌にも触れられている。昔の風情が失われた隅田川界隈や品川近辺を綴る先生は、少し残念そうだ。
行く場所はさまざまだが、少々マイナーなところも多い。潮来に流山、騎西に菖蒲など、関東近辺に住んでいても、全部の地名を知っている人のほうが少ないかもしれない。
行こうと思い立つきっかけもいろいろで、単に珍しい地名を見つけたから、という程度で出かけていくこともある。それでもその散歩をふわふわと楽しんでしまう。これこそホンモノの「散歩の達人」であろう。
立身出世にはとんと興味がない。むしろ、そうした世間並みの成功とか立身というものを忌避しているようにさえ思える。こんなふうにさえ、素白先生は書いているのである。全般に穏やかな筆致の文章が続く中で、ここは珍しく語気強い調子が漲っている。
「世間で遣り手といわれて成功している人物は、まことにかの遣り手婆アの如く強欲で、わる知恵が廻って手前勝手であり、またすべての力の前に押しひしがれている人々は、かの哀れな遊女たちの如く、弱く果敢なく浮ぶ瀬も立つ瀬もなくて、運のわるい者はやがて投げ込み寺の穴の中へ放り込まれるのである」(p.206)
実際に素白先生は、幼少期を過ごした品川の宿場町で、一見華やかに見える遊女たちの悲惨な現実や、遣り手婆の貪欲さを見て育ったらしい。その義憤がおそらくは先生の生涯を貫く一本の棒のようなものであって、先生を世間並みの成功から背を向けさせ、隠遁者の生活に向かわせたのであったろう。
だからかどうか、素白先生が散歩に訪れた先々で、そこに暮らす人々に向ける目は限りなくやさしく温かい。晩年のある随筆では、こんなふうに書かれている。
「昔私はよく、この世間に所謂聡明な人はきわめて多いが、善良な人は甚だ稀だと思っていたが、このごろ考えてみると、善良な人は案外多くして、本当に聡明な人というものは殆ど無いということである」(p.186)
昭和32年の文である。私がここを読んで気になったのは、では、現代ではどうだろうか、ということだった。聡明な人が「殆ど無い」ことは多分そう変わっていないだろうが、善良な人は今もまだ「案外多い」と言えるだろうか。平成の世を素白先生が散歩されたら、果たしてどんなことを感じ、どんな随想を残されただろう。