【1545冊目】みうらじゅん『マイ仏教』
- 作者: みうらじゅん
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/05/14
- メディア: 新書
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みうらじゅんの「仏教好き」「仏像好き」はなんとなく知ってたけど、ここまで筋金入りとは思わなかった。
なにしろ仏像にハマったのは小学校4年生の時だというし、6年生で「諸行無常」を実感し、将来の夢はお坊さんになって自分の「寺」をもつことで、その名前は「イマ寺院」。中高一貫の仏教系男子校に進学、そこから徐々にロックやアートに流れていくものの、それでもボブ・ディランの曲の歌詞に仏教を連想するなど、骨の髄までの仏教少年だったらしい。
そんなみうらじゅん少年がなぜ今のようなイラストレーターとも漫画家ともエッセイストともつかない妙ちきりんな立ち位置になったかは本書をお読みいただくとして、この本はそうした仏教ライフから生まれた一冊だ。「マイブーム」「カスハガ」「ゆるきゃら」系のおふざけキャラとは一味違うトーンで、仏教について案外マジメに語っており、敷居は低く語り口はソフトながら、内容はけっこう仏教の核心にまで迫るものになっている。
特に「自分探し」から「自分なくし」へ、という転換は重要だ。仏教ではそもそも、自分なんてものは「無い」と断言する。正確に言えば、他と独立して切り離された「自分」などというものはなく、すべては相互に関係し、変化し続けるというのである。だから「自分探し」とか「自分らしさ」なんてものは、仏教的に言えば幻想にすぎない。
だから著者は「自分をなくせ」「自分を変えろ」と言い、さらには「僕滅運動」というケッサクな呼び方まで編みだしてみせる。具体的にどうすればよいかというと、まずは「何でこの俺が」というフレーズを禁句にすることだ。そして、自分はとりあえず度外視して「他人の機嫌を取る」のだという。例えば奥さんに「家のゴミを出してきて」と頼まれたら、「なんで俺がゴミを出さなきゃいけないんだ」と思うのではなく「そうすれば妻が喜ぶのだから、ご機嫌を取るためにやろう」と思うようにする……のだそうだ。
「機嫌を取る」なんて、なんだか作為的でネガティブなイメージがあるが、著者はこれを「利他行」「菩薩行」と結びつけ、大乗仏教の思想にまで敷衍していく。逆に言えば、難しいことを考えなくても、大乗仏教の教えを実践するには「機嫌を取ろう」と思えばいいんだ。
他にも「後ろめたさ」の効用(例によって「後ろメタファー」というナイスな造語が用意されている)、「比較三原則」(他人、過去、親と自分を比較してはいけないという教え)、「そこがいいんじゃない!」という「念仏」の効果など、著者ならではの独自で生活感あふれる仏教解説がぎっしり詰め込まれていて、気取った解説書では到底読めない、地に足のついた仏教論になっている。
たぶん、これ以上の気軽でゆるくて楽しくて実践的で、しかも本質的な仏教入門書は存在しない(あったら教えてください)。まずは「撲滅運動」で「機嫌を取る」から始めてみようか。