自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1544冊目】内田樹・中沢新一『日本の文脈』

日本の文脈

日本の文脈

表紙がモロに福島第一原発なので、てっきり311を踏まえた対談本なのかと思ったら、全7章中、東日本大震災以後の対談は第7章のみ。それ以外の6章は、2009年から2010年にかけて断続的に行われた対談(一部鼎談で、釈徹宗平川克美が加わっている)である。

ところが面白いことに、この「震災前」と「震災後」の内容が、全然断絶していないのだ。震災後、原発事故後につながってくるような指摘や思索が、すでにその前から行われている。だからあれほどの災害があり、事故があっても、言うべきことは変わらない。例えば次のような指摘は、どうか。

「既存のシステムがうまくいかなくなって、大きくクラッシュしたときに復元を支える人というのは、思いがけないところから出てくると思うんですね。いまは目立たない、社会の水面下に沈潜している人たちが、ある状態で浮上してきて、社会の復元のためにけん引していく。(略)ほんとうに新しいものはまだ現象しないで、地下に伏流している。メディアはそういうこれから現象化しているものは構造的に感知できないんです。ある日突然出てきたときにビックリするだけで、その予兆には気づかない」(内田、p.239〜240)

一方、震災後に行われた対談(第7章)では、特に原発の事が真正面から取り上げられているのだが、ここで気になったのは、原発のメカニズムとして「生態圏の外にある核分裂反応」と生態圏をつなぐインターフェイスに問題がある、との中沢新一の指摘。中沢は、一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教の社会は、この「危険で超越的な存在」と「地上的現実」を結びつけるインターフェイスの技術に長けている、と言う。

「だから一神教の伝統のあるヨーロッパやアメリカでは、原発が危険なものだとわかった上で受け入れてるんですよね。そういう危険なものを受け入れるときにはどうしたらいいのかについて三千年以上前から考えてきて、そのノウハウの上にやってる。ところが日本はそれをしてこなかった」(中沢、p.288〜289)

では、日本は原発のような「超越的で危険なもの」をどう遇してきたか……実はここからの分析が目からウロコなんだけど、う〜ん、ここで紹介してしまうのはもったいないかな。まあ、気になる方はぜひ本書をお読みください。

さて、本書はこうした震災後の現実も含め、日本についていろんな角度から語りつくした一冊なのだが、まず読んでびっくりしたのは、内田樹中沢新一が「同期」である、ということ(二人とも1950年生まれ、大学入学も同年)。なにしろ中沢新一といえば、早くからニューアカの旗手としてもてはやされてきた(中沢自身は本意ではなかったらしいが)のに対し、内田樹はかなりの「遅咲き」なので、なんだか一世代分くらいのズレはあるのかと思い込んでいたからだ。

しかし、遅咲きが悪いとは限らない。実際、内田樹の議論や思索は、本書を読む限り、ひょっとすると中沢新一を凌駕しているのではないか。さらに本書にも登場する釈徹宗平川克美をはじめ、周囲に集まってきている人々も実に刺激的。この「内田樹サークル」、ひょっとすると今の日本で一番エキサイティングでラディカルな「知の現場」になっているように思われる。

さて、だらだら書いてきてしまったので、本書の骨格をなす肝心の「贈与論」やユニークな「ユダヤ人と日本人の比較論」などについて触れられなくなってしまったが、ちょっとだけ書いておくと、今後の日本を考えるにあたってきわめて重要なのが「贈与と交換」についてきちんと考えるということだ、とお二人は主張する。

ポイントは、先に贈与があり、贈与を受けた側が反対給付を行うということ。さらに言えば、贈与を受けているという状態がまずあって(その典型例が「神」による創造ですね)、それへの返礼としての給付を行う、というところから、贈与と交換の歴史は始まっているのだ。

民主主義も同じである。民主主義というのは、その出現の段階で途方もない流血と暴力があり、つまりは膨大な犠牲という「贈与」の上に成り立っている。「身銭を切ってわれわれにこのシステムを寄贈してくれた先人がいる」(内田、p.221)のだ。だから、こうした人々によって下支えされていることが忘れ去られ、民主主義から利益を引き出すことしか考えない人々ばかりになってしまった瞬間、民主主義は劣化する。

そう考えると、テレビで幕末モノをやったり、映画でリンカーンが取り上げられたりするのには、実は無意識的なレベルで重要な意味があるのかもしれない。また、アウンサンスーチーみたいな存在も、そういう視点からとらえ直してみると良いかもしれない。

共同体についても内田は、先行世代から後の世代に「パスを回す」ことで成立している、と指摘している。これもまた、広い意味での贈与であろう。つまり共同体を成り立たせていくためには、上の世代から受けた贈与を下の世代に回すことが必要なのだ。

そう考えると、今の日本の地域社会や社会福祉がいかに「ヤバイ」状態かが見えてくる。共同体の断絶、無縁社会の進行がなぜ起きているのか。本書はそれを理解するためのヒントにもなりそうだ。

311をまたぐ日本をシャープにえぐる一冊。面白い。