自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1400冊目】深沢七郎『みちのくの人形たち』

みちのくの人形たち (中公文庫)

みちのくの人形たち (中公文庫)

気づいたら読書ノートも1400冊目になっていた。

冊数なんて便宜上の「記号」「コード」として通し番号を振っているというだけのこと、実際には上下巻あわせて1冊とか、『カラマーゾフの兄弟』は4冊で1冊、マンガなんて数十冊まとめて1冊扱いであり、その意味では冊数なんていい加減なものである。

そもそも、別に読んだ量を誇るつもりもないし、だいたい量を読んだところで自慢にもなんにもならないのはわかっちゃいるのだが……そうはいっても数ってフシギなもので、いざ「キリ番」を迎えてみると、やはりある種の感慨はあるものだ。う〜ん、1冊目から積み上げ積み上げ、よくぞここまで来たものだ。感涙。

本当はキリ番にあわせて「特別な一冊を」なんて仕掛けができればよいのだろうが、この「読書ノート」は常に「読む」と「書く」の自転車操業であって、そんな余裕があるわけもなし。たまたまこの一冊がスポッとはまっただけの話。

とはいえ、その中でこの一冊がここに来たのは、まあある種の符合というべきか、因縁というべきか。というのも、今確認してみてたまげたのだが、1100冊目がなんと同じ深沢七郎の『笛吹川』なのであった。たった3冊しか読んでない深沢七郎なのに。うわあ。

……気を取り直して、さてさて、本書は深沢七郎の短編集である。表題作に加え「秘儀」「アラビア狂想曲」「をんな曼陀羅」「『破れ草子』によるレポート」「和人のユーカラ」「いろひめの水」を収める。

すべて1979〜80年に発表された作品らしい。ふうん、深沢七郎ってそんなに最近(最近でもないが)の作家だったのか。もっと戦後まもない頃の作家というイメージがあった。

読んでみるとどの短篇も、少し古い、というか土俗的な印象を受けた。考えてみればこの頃って、地方独自の風習がそれぞれの地域にしっかり残っていた最後の時期だったのかもしれない。一方で村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューしたのが1979年、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』はもっと前の1976年らしい。

風の歌を聴け』と「みちのくの人形たち」が同じ年に発表されたなんて、ちょっと不思議な感じ。当時はそういう時代であり、そういう日本であったということか。

ちなみにかの『楢山節考』が1956年の作というから、本書に収められているのは、そこからおおむね四半世紀を経た作品ということになる。作品そのものの力、凄みは『楢山節考』やその2年後の『笛吹川』のほうが深いものがあるような気がするが、文庫版の『楢山節考』は他に収められていた2編と表題作の差がありすぎたのに比べると、本書は7作全体のアベレージが高く、どれもそれなりに印象深いものをもっているように思えた。

しかしやはり、個人的に一番インパクトがあったのは表題作「みちのくの人形たち」であった。これは一言で言えば「楢山節考」の裏返し。姥捨てという「老人の死」を正面から扱ったのが「楢山節考」なら、間引きという「赤子の死」(もっと言えば、赤子殺し)の風習を淡々と描いたのが「みちのくの人形たち」なのだ。

しかし、その「淡々」が、コワイ。静かに心の奥底に浸み入っていくものがある。そして、読み終えたら二度と忘れられない一作になる。ラスト、バスに乗った乗客を人形と重ね合わせたシーンが、とりわけ心に食い入って離れない。次の文章なんて、読んでいて背筋がぞわぞわっと震えた。今まで感じたことのない震えであった。

「突然、私は乗客たちの頭や顔が、あの土産物売場の人形に変った。このひとたちは、あの逆さ屏風で消されなかった。が、消されたかもしれないのだ。バスの席で、いま人形になってその姿を現わしているのだ」(p.45)

どの短篇も、焦点があたっているのは、人間の生と死。生は性に通じ、庶民の生活にも通じている。きれいごとではなく、生活の中のなまなましい生と、性と、死。朴訥とした口調でそれを語る深沢七郎が、地方習俗の最後の語り部のようにみえてくる。

楢山節考 (新潮文庫) 笛吹川 (講談社文芸文庫) 
風の歌を聴け (講談社文庫) 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)