【1343冊目】戸田ツトム『陰影論』
- 作者: 戸田ツトム
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2012/02/09
- メディア: 単行本
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著者は有名なグラフィックデザイナー。空間的で、余白を巧みに使った、しかしどこか温かみのある独特のデザインで、個人的には、この人の装丁した本はそれだけで読みたくなることが多い(ちなみに本書も著者自ら装丁している)。
そんな著者の語るデザイン論は、そこらのデザイン論とはだいぶ毛色が違う。そもそも、著者によると、20世紀のデザインは「上昇、増殖する風景としての経済をエネルギーとして」(p.12)走り始めた。デザインは「現代社会」そのものと同じように、細分化され、人工化され、駆り立てられてきたのである。
だがその一方で、20世紀はさまざまなものを忘れ去り、置き去りにしてきた100年間でもあった。置いてきたのは、例えば「死」であり「衰退」であり「弱さ」であり「自然」である。そうだとすれば、そこには弱さと衰退のデザイン、死を内包し、自然を映すデザインがあってもよい、ということになる。本書の議論はそんなふうに進んでいく。
本書のタイトルにもなっている「陰影」もまた然り。現代の都市は、ひたすら明るさを追い求め、影を駆逐してきた。しかし「陰影を失いつつある都市で、仄かな闇さえ残すことなしに、人は何を、どのように発見しようとしているのだろうか」(p.104〜105)。
なぜなら、言われてみれば確かにそうなのだが、描かれたモノをモノとして認識するためには、実はその外側をふちどる「陰影」が必要なのである。「存在は、陰影を得ること、すなわち、外部化することによってしか、目の前に存在し得ない」(p.75)ということなのだ。
印象に残ったのは、こうした議論の延長線上で、電子書籍に触れているくだり。なにしろ著者は「「電子本」と呼ばれるような試みは、いくらやっても成功しません」(p.123)といきなりバッサリなのだ。しかも、続けてその理由を「コンピュータもDTPも、いまだ「紙と鉛筆」を達成していない」としているところがすばらしい。
別のところでは紙の「脆弱性」に触れ、平面という限界や耐久性の低さといった「弱い」特性をもつ紙が媒体として用いられていたからこそ、かえって空間を描く「遠近法を深化させ、そこに新たな世界の書法を生みだした」(p.133)と指摘する。この「弱さ」「限界」への着目こそ、実は本書のデザイン論のキモなのだ。
本書はほかにも光琳を「デザイナーの先駆者」と捉えたり、山水画やダヴィンチ、フェルメール、ターナーを縦横に論じつつ、そこから独自のデザイン論を浮上させたりと、まさに自由自在な広がりを見せる。しかしその中で、著者独自の世界観、人間観が浮かび上がり、それが著者のデザインとつながってみえてくるのが面白い。
言い換えれば、デザインとは世界や人間や文明そのものなのかもしれない。そんなことを思わせられる一冊であった。