自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

横山秀夫『クライマーズ・ハイ』『影踏み』『臨場』(#649〜#651)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

影踏み (祥伝社文庫)

影踏み (祥伝社文庫)

臨場 (光文社文庫)

臨場 (光文社文庫)

クライマーズ・ハイ』は、地方新聞のデスク、悠木が主人公。現場を飛び回る記者でなく中間管理職的なデスクを主役にするあたりがいかにも横山秀夫らしい。十八番の警察組織とはちょっと違うが、みずからもかつて籍を置いていた地方新聞社の内実を生々しく描き出している。

しかも、その地方新聞社「北関東新聞」が直面するのは、同じ群馬県内で起きた、かの日航ジャンボ機墜落事故。当時「世界最大の墜落事故」と言われたこの事件の取材競争の表も裏も克明に描き出し、さらにそれに関わる人々の、「事件屋」ならではのプライドや嫉妬、葛藤をも、心のひだをひとつひとつ広げるようにして暴きだす。

また、その間に挿入される、友人・安西の息子、凛太郎との登山の情景がとても良い。鬱然とした新聞社内と青空の広がる山のコントラストが絶妙で、この長い小説の中で息抜きにもなっている。ちなみにこの登山は御巣鷹山の事件から17年後。最初はなぜこの山登りがサイドストーリーのように挿入されているのかよくわからなかったが、読んでいくうちにだんだん見えてきた。ある意味、この小説は写真のネガとポジのようなところがある。ネガが熾烈な報道合戦と社内の修羅場という仕事の現場だとすれば、ポジは山登りに仮託された、悠木の人生そのものである。仕事と人生のふたつは得てして重なりやすいものだが、この小説はその間にでっかいハーケンを打ちこんだ作品であるように感じた。

『影踏み』はこの人の小説の中では超異色作。泥棒が主人公というのも、警察社会の舞台裏を描き続けてきた中では異例だし、しかもその泥棒、内耳の中で、かつて焼死した弟の声が聞こえ、会話までできるというのだから、リアルという大きな枠からもはみ出している。設定だけみれば初期の宮部みゆきを思わせるものがある。

本書はこの泥棒「ノビカベ」こと真壁を主人公とした連作短編なのだが、これがまた、上手いのである。組織の中で葛藤する男とはまったく別の、心に深い傷を負った一匹狼の孤独と矜持が、読むにつれてしみこむように伝わってくる。特に、恋人の久子をめぐる「抱擁」のラストや、全体のラストでもある「行方」のラストシーンなど、号泣モノ。真壁をはじめアンダーグラウンドの男達がしのぎを削る日本の裏社会の迫力も満点で、エンターテインメントとしても申し分ない。

『臨場』は、あれ、ドラマ化されてるの? 全然知らなかった。いやホント。ただ、さっきドラマのあらすじを見たら小説とだいぶ変えてあるようだったので、まあ観なくてよかった、というところ。別にドラマをバカにしているわけじゃないが、小説のドラマ化で小説より面白く感じたことは全然ないもので。もっとも、それは小説を読んだ時点でイメージが固まってしまうため、「別人」の登場人物を見ても受け付けなくなってしまう、ということなのかもしれないが。

まあそれはそれとして、こちらは「終身検視官」の異名をとる凄腕の検視官、倉石を主人公とした短編集。警察が舞台とはいえ、横山秀夫の小説の主舞台である「警察社会の組織」は背後に引っ込み、事件解決が前面に出た正統的警察ミステリ。検視官の検証と観察、推理が事件を解決に導くというあたり、コーンウェルの検屍官(こちらは「屍」なんですね)ケイ・スカーペッタやディーヴァーのリンカーン・ライムのシリーズあたりを連想してしまうが、コーンウェルら海外組の作品はどれも「長丁場」なのに対して、『臨場』のほうはすぱっと一刀両断、居合抜きのような鋭さが残る。

そしてそこに光るのは、組織の中で孤高の一匹狼を貫く倉石のダンディズム。それが一番はっきり出ているのは、タイトルからして意味深長な「黒星」だろうか。その点、警察を舞台にしているとはいえ、これまでの組織ずぶずぶ、葛藤ドロドロの横山秀夫ワールドからすれば、これもまた「異色作」というべきかもしれない。

さて、実はこの3冊で、たぶん横山秀夫作品はコンプリート。集中して読んでいたのはこうした読書ブログを始める前なので感想などは残っていないのだが、特に警察の内務や庶務方など地味な裏方を書いてこれほどの人間ドラマを生み出せる作家はそうはいないだろう。もっとも、単に組織のドロドロを書いているだけではない。この作家の凄味は、組織というどうしようもない桎梏の中で、頭を押さえつけられ、鼻面を引き回され、嫉妬と欲望が渦巻く中で、それでもぎりぎりのところで貫こうとする男や女の、矜持のりりしさを敢然と描いているところである。

ちなみにこれまでの中であえてベスト3を挙げるとすると、刊行間もない時期に最初に読んで一発で惹き込まれた(ああ懐かしい)濃密な短編集『動機』、戦時中を舞台に、片道切符の人間魚雷に乗った若者を描いた『出口のない海』(これも涙なくして読めない傑作)、あと一冊は難しいが、本領発揮の警察短編ということなら『第三の時効』、あるいは男のダンディズムと温かさに痺れた今回の『臨場』か。ちなみに『臨場』、実は脱帽したのが会話のうまさと、決めのセリフのえぐりこむような的確さ。このあたり、ドラマではどうなっているんでしょうねえ。