【494冊目】夏目漱石「三四郎」

- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1948/10/27
- メディア: 文庫
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読むのは2回目。最初に読んだのは大学生の頃だったと思うが、その時は単なる青春小説で、三四郎の受動的でいじいじしたところがじれったかったのと、美禰子が言う「ストレイ・シープ」が記憶に残ったくらい。今回は、さすがにちょっと違う感想をもった。
まず冒頭、列車の中のやり取りが奇妙に印象的であった。本編にはほとんど関係のない導入なのだが、それにしては異様に暗示的で、意味深。色の浅黒い女性との一夜、日露戦争に湧く日本の未来を問われて「亡びるね」と言い切る男(明治末期の小説であることを思えば、驚くべき洞察である)。これは何なのか。この時点で、すでに単なる青春小説とは違った何かがある。
また、後期の小説に比べるとずっとユーモラスで風通しの良い小説である。それは、三四郎の人物によるところが大きいように思われる。確かに三四郎は受動的で周囲の状況に流されてばかりだが、若者としての明快な視点をもっており、その鬱屈も、後年の作の主人公に比べるとやはり軽い。若者ならではの悩みであって、そこにはまだ近代知識人の苦悩のような重いテーマは出てこない。その意味で、本書は「坊っちゃん」の闊達明朗、「草枕」の叙情と俳味から、「明暗」にまで至る中〜後期作品群への橋渡し的存在であるといえよう。そういえば、本書はストーリー展開自体はさしたることがなく、むしろ印象的な情景の描写を連ねて成り立っているような印象もあった。
それにしても、美禰子の存在はやっぱり不思議である。ミステリアスなのだが妙に惹かれるという三四郎の気持ちがよくわかる。ある種、中性的なところもあるのだが、それでいて女性全般に通ずる謎めいた何かをもっている。それが作為的なものなのか、無意識的なものなのかもよくわからない。この女性があってこそ、三四郎の純朴で単純な性格が際立ってくるのである。