【390冊目】三浦哲郎「忍ぶ川」

- 作者: 三浦哲郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1965/06/01
- メディア: 文庫
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表題作は、兄姉が次々と自殺・失踪したことによる翳りをもつ「私」と、深川洲崎の遊郭に生まれ料理屋で働く「お志乃」が出会い、結ばれるまでを描く。過去の暗さを引きずりつつも、けなげに、懸命に前を向いて共に生きようとするふたりの姿が、何のひねりもてらいもなく、実にストレートに描写されている。
こういう作品は書こうと思って書けるものではないと思う。この短編ができたいきさつは知らないが、おそらくは、作者がその作為と技巧を捨てたその奥に、奇跡的に生まれるものであるような気がする。その、自然に生成された清冽ですきとおった水晶のようなまっすぐさが、正面から読み手の心を打つ傑作である。
他にこの「忍ぶ川」の後日談である「初夜」「帰郷」「恥の譜」が本書には収められている。いずれも「忍ぶ川」の余韻が残響しているかのような佳品である(ただ「恥の譜」はちょっと様子が違うような気がする。うまくいえないが、より「私小説」的なものを感じた)。ところが、それ以外の本書に収録された短編は、これらとはちょっと様子が異なる。「團欒」はベニヤの壁の部屋に住むことになった貧しい夫婦の陰鬱な日々を描き、「幻燈畫集」は子どもの視点というものの鋭敏さと哀愁を感じさせる。「驢馬」は夫婦や家族を描いた本書の中では異色で、日中戦争下、満州からの留学生として軍国主義の日本に暮らす「張」の生活と内面を描いている。この間読んだ「おろおろ草紙」等の作品につながっていく要素が垣間見える小品である。