【101冊目】D.バレンボイム/E.サイード「音楽と社会」

- 作者: A・グゼリミアン,中野真紀子,ダニエル・バレンボイム,エドワード・W・サイード
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2004/07/20
- メディア: 単行本
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「ユダヤ人の音楽家」バレンボイムと、「パレスチナ出身の思想家」サイードの、6回にわたる対談を収録した本である。
両者の出自からして、中東問題が話題の中心になりそうだが、対談の核となっているのは、バレンボイムの本業であり、サイードも造詣の深い「音楽」である。そして、音楽を軸に、話題はグローバリズムや歴史問題などさまざまに及ぶ。というより、音楽の中にあるそうした「世界性」「歴史性」が、対談の中であぶりだされるのだ。音楽のもつ奥深さと多面性である。また、話題は音楽そのものの深みにまで降りてゆく。サウンドと静寂について、さまざまな作曲家について、多彩な議論が展開されるが、特にベートーヴェンについての考察が深い。
そして、おそらく本書の白眉と思われるのは、「イスラエルでワーグナーを振る」というバレンボイムの思いについての議論である。対談の中では、それを断念したバレンボイムの思いが述べられるが、巻末のサイードの文章には、その後、実際にバレンボイムがイスラエルでワーグナーの演奏を敢行した時の様子がまざまざと描かれている。音楽と歴史の不幸な関係を象徴的に示すみごとな実例といえる(ワーグナーはヒトラーが愛好し、ナチス・ドイツによって政治的に最大限利用されたため、多くのユダヤ人にとっては「禁忌」の存在となっている。アウシュビッツのガス室に送られるユダヤ人たちの頭上には、ワーグナーの歌劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」が流されていたという)。そして、過去のナチス・ドイツとユダヤ人の不幸なかかわりは、そのまま相似形として、現在のイスラエル・パレスチナの関係と二重写しになっていることが示される。
本書は音楽論であり、社会論であり、文明論である。稀有の音楽家と稀有の思想家がその思いを縦横に語り合った、重く深い、しかし音楽好きにはたまらない一冊といえよう。