自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2197冊目】大浜啓吉『「法の支配」とは何か』

 

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

 

 

「法の支配」の根底にあるのは、「自由で平等な尊厳ある個人」と「社会」の観念です。「尊厳ある個人」を起点にして「社会」が構成され、「国家」は社会に生起する公共的問題を解決するために人為的に作られた機構にすぎません。(「はじめに」より)

 



法治主義」と「法の支配」って、どう違うのか、わかりますか。

法学や憲法を学ぶと、最初の方に出てくるトピックなのだが、案外これがわかりにくい。いや、「法治主義」はまだわかる。王様が勝手に税金を増やしたり国民を処罰したりしないように、「そういうことをするには法律の定めが必要です」としたのが法治主義だ。この場合、法律がどんなものであるかは問われない。法律という「形式」を取っているかどうかが重要なのだ。

これに対して「法の支配」は、冒頭の引用のとおり、一定の価値観を前提としている。何が正しいかをあらかじめ定めた上で、法律といえどもそうした「正しさ」に沿っていなければならないと考えるのだ。その背景にあるのは、アメリカ独立革命フランス革命で掲げられた、人間理性の尊重に基づく自由や平等の観念である。

 

本書の著者は、こうした観念を手放しで絶賛し、素晴らしいものと思っておられるようだ。だが、私のようなひねくれ者は、こうした「普遍的な正しさ」のようなものを掲げられると、かえってちょっと冷やかしたくなってしまう。いやいや、人間の理性って、そんなに信頼できるものだっただろうか。フランス革命があれほどの流血と粛清の嵐に終わったことを、この著者はどう考えるのだろう。フランス革命だけではない。宗教改革から共産主義革命まで、絶対的な正義の名のもとにどれほどの人命が奪われてきたことか。

だったら「法治主義」に戻って、どんな法律でもいいから法律で決まっていれば良しとすべきかというと、それも別の意味で危ういような気がする。結局、法律を作るのは時の政権なのだから、ロクでもない政府がロクでもない法律を作ったら、それを止めることはむずかしい。今のアメリカや日本の状況を見ていれば、そのことは肌感覚でわかるはずだ。

そんなことを考えながら本書を読んでいて、ふと気づいたのは、「法治主義」のほうがある意味理想主義的で現実離れしていて、「法の支配」のほうが、案外リアリスティックで地に足の着いた考え方なのではないか、ということだ。

どういうことかというと、「法治主義」は価値観ニュートラルで、少なくとも「法の支配」のような、特定の正義をごり押しするものではない。だが、それは現実にはたいへんリスキーな考え方であって、トンデモ政府のトンデモ法案を阻止できない。

だったら、あえて「普遍的な正義」らしきものを仮構しておいて、その枠をはみ出した法律を違憲無効としていったほうが、正義の押し付けにはなるものの、それ以上の被害を食い止めることはできる。毒をもって毒を制す、というか、正義Aをもって正義Bを制す、というか。「法の支配」とは、理想主義的でリベラルっぽい感じがするが、実はとても現実主義的なメソッドなのだ。たぶんこんな考え方、本書の著者とは真逆の結論だと思うのだが、こう考えることで、自分なりに「法の支配」の本質が腑に落ちたのであった。

【2196冊目】伊坂幸太郎『SOSの猿』

 

SOSの猿 (中公文庫)

SOSの猿 (中公文庫)

 

 

「分かる、と無条件に言い切ってしまうことは、分からないと開き直ることの裏返しでもあるんだ。そこには自分に対する疑いの目がない」(p.122)

 


上の引用は本書に出てくるイタリア人エクソシスト、ロレンツォの父親のもの。「自信満々に言い切る親には注意を払いなさい」というフレーズに続くものなのだが、う~ん、これ、よくわかる。

仕事でいろんなケースとその親に接していると、「親だからわが子のことは一番わかっている」と確信している人によく出会う。というか、ほとんどの親がそう思っていると言っても良い。それに、ひるがえって親としての自分を考えてみても、わが子のことは自分が一番よくわかっている、と言いたくなる。

だが、第三者の目から見ればどう考えても明らかなことが親にだけは見えていない、というケースを、仕事の上とはいえこれだけ見てくると、自分のわが子を見る目にもちょっと自信がなくなってくる。特に中学生にもなると、自分が見えていない側面の方が多いのではないか、と思えてくるのである。冒頭のセリフからすれば、それはむしろ「自分に対する疑いの目」が育ってきている、ということなのかもしれないが、そのことを認めたくない自分もまた、確かにいる。

一般的に敷衍すれば「無知の知」ということなのかもしれないが、それがいかに難しいことか。なぜなら、それは「知っている自分」に対して、常に疑いの目を向けるということなのだから。・・・・・・え、それより、この『SOSの猿』ってどんな本なのか、って? その答えは決まってるでしょ。「どんな本なのかは、よくわからない」のですよ。まあ、強いて言えば「エクソシスト西遊記」ということになるのかもしれないが・・・・・・余計わからない、ですよね?

【2195冊目】仲野徹『エピジェネティクス』

 

エピジェネティクス――新しい生命像をえがく (岩波新書)
 

 

「遺伝情報は、狭い意味では、ゲノムの塩基配列に書き込まれている。そして、学問分野としてのエピジェネティクスが注目するのは、そこにさらに上書きされた情報なのである」(p.22)

 



これを読んで、みなさんはピンとくるだろうか。それとも、なんじゃこりゃ、という感じ?

後者の方には、本書の「終章」で挙げられている喩えのほうがピンとくるだろうか。ゲノムを一冊の本だとする。遺伝情報はそこに書かれているテキストだ。だがそこには、「ここを読みなさい」とか「ここは読み飛ばしてください」と書かれた付箋が貼ってあったり、二重線で文字が消されていたりするとしよう。こうした「付箋」や「二重線」のような働きをいわば総称しているのが、エピジェネティクスなのである。

たとえばヒストン修飾という働きは、特定の遺伝情報を活性化したり、抑制したりする。あるいはDNAメチル化という働きは、塩基配列の中のシトシンをメチル化することで、遺伝情報を読めなくしてしまうのだ。

ポイントは、もともとの遺伝情報そのものが変わっているワケではない、というところ。本の喩えで言えば、書かれている文字は変わらないのだ。ところがそこにいろんな強調やら消除やらの「書き込み」「上書き」があることで、実際の「読まれ方」は大きく変わってくる。エピジェネティクスとは、こうした「促進」と「抑制」に関わる分野なのである。

正直、本書に書かれていることをすべてちゃんと理解しようとすると、けっこう大変だと思う。だがそれでも「そもそもエピジェネティクスとは何なのか」というコアの部分は、しっかりと伝わってくる。生命の「可変性」を遺伝情報の側から見ることのできる好著である。

【2194冊目】今井照『地方自治講義』

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

 

 

 「今の私たちができることは、自治体の原点をもう一度確かめながら、現代社会の中で自治体を再建していく取り組みです。何度も国策としての合併に痛めつけられながら、そのたびに自治体は自治を取り戻す動きをしてきた。それは結局のところ、私たちは一人では生きていけないからです。地域社会のあり方は変わってこざるを得ませんが、支え合って生きていかなければならない限り、広い意味での地域社会は必ず必要になってくるし、その結節点としての制度は自治体にしかない。だから私たちは自治体を使いこなすことが必要なのです」(p.100)



新年度一冊目は、誰よりもまず今年の新人公務員すべてに読んでほしい、出色の地方自治論だ。どこかで読んだような、既成の説明や解釈がひとつもない。地方自治の本質と歴史に遡りつつ、現在の自治のありよう、そして将来像に至るまでを、新書一冊の中にこれでもかと詰め込んだお得本である。

自治体の歴史を語る第2章では、明治維新より前の村や町、藩は「空間」ではなく「関係」の概念だった、という指摘が新鮮だった。もちろんそこには一定の領域はあるが、それは「「〇〇村」という集団に属する人たちが住んでいるからここは「〇〇村」になる」という順番なのだそうだ。

だから、人はどこに引っ越しても「〇〇村」「〇〇町」からは逃れられない。一方、空間概念ではないことから、日本中にはどこの村や町にも含まれない地域が膨大に存在した。それが大きく変わったのは明治維新。それまでは自分の所属する「村」や「藩」に払っていた税(年貢)を、個々人が国に収めるように変えたのだ(ふるさと納税が最近いろいろ問題になっているが、あれって本質的には江戸時代の納税システムへの先祖返りだったのかもしれない)。そして、その管理のため戸籍を整備し、戸籍の管理が自治体に押しつけられた。そのためすべての国土は自治体によって分割され、「人の集団」から「一定の分割された国土」に変質していったのだという。

近現代の自治体史では、とにかく国の政策に対する批判が痛烈だ。間違いだらけで誰も得をしていない「平成大合併」(町や村の規模が小さければ、その分は都道府県が補完すればよい、とニベもない)、補助金ありきで行われる政策選択の結果、地域にまったく必要とされないような事業や建物に予算がつく愚かしさ(国に頭を下げに行くのではなく、国が視察に来るような政策を考えろ、という。大賛成だ)。

 

他にも憲法の制定過程への言及(地方自治に関する部分は、GHQの意向に対して、日本の官僚側の「骨抜き」が「うまくいってしまった」例だという)から「市民参加」「少子高齢化と地方格差」など、地方自治をめぐる主要なトピック「全部入り」。文章も講義調で読みやすく、入門書としてイチオシしたい一冊だ。

【2193冊目】ジム・トンプソン『残酷な夜』

「だが友よ、ほかのどこに行こうというのだね? この、絶えず狭まっていく挫折の輪の中で、どこに逃げ場があるというのだ?」(ジム・トンプソン『残酷な夜』p.308)

 

 

残酷な夜 (扶桑社ミステリー)

残酷な夜 (扶桑社ミステリー)

 

 
ジム・トンプソン初読。殺し屋らしき男カール・ビゲロウの視点で物語は進む。

下宿の主人であるジェイクが狙われているようなのだが、事実はどうもはっきりしない。ジェイクの妻フェイとの関係やら、そこで働く脚の悪い娘のルースとの関係、ビゲロウのボスらしい「元締め」。

徐々に進むように見える物語が急転直下、とんでもないスプラッターになるのが、なんとラスト数ページ。その極端な振れ幅は、観覧車だと思っていた乗り物が突然フリーフォールになるようなもの。

誰も予想のつかないラストに、読み終わってしばらく呆然となった。これまで読んだことのない衝撃を、どうぞ。