自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2159冊目】中村文則『王国』

 

王国 (河出文庫 な)

王国 (河出文庫 な)

 

 



前に読んだ『掏摸[スリ]』の姉妹編とのことだが、内容はほぼ完全に独立している。というか、前作の内容自体ほとんど覚えておらず、超重要人物で本作にも出てくる「木崎」の存在すら、すっかり忘れていた。われながら呆れたものだ。

おぼろげに覚えているのは、前作の主人公がスリ師であり、ひどく孤独な人物だったということくらい。そして、本書の主人公であるユリカもまた、いろんな意味で孤独である。セックススキャンダルを演出する「プロ」なのだが、それ以外のほとんど何も、彼女の心の中には存在しない。唯一あるのは、心臓移植が必要な少年、翔太の存在なのだが……

闇社会の中で生きるユリカ、そのボスである矢田、そして「化物」と呼ばれる男、木崎の三者をめぐる、陰惨なパワーゲーム。そこには何の救いもなく、ただひたすらに荒涼とした風景が広がるばかり。そんな世界観の圧倒的な質感を生み出しているのが、無駄がなくスリリングな文体だ。緊張の糸を一度も切らさず、最後まで読み切らせる筆力を堪能した。

【2158冊目】マット・リドレー『やわらかな遺伝子』

 

やわらかな遺伝子 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

やわらかな遺伝子 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 
人間は、遺伝子によってすべての行動がプログラムされたロボットか。あるいは、環境次第でいかようにも変わりうる「タブラ・ラサ(まっさらな板)」なのか。本書はこの一大難問を、最新の生物学の知見から解き明かした一冊だ。

別々の養親に育てられた一卵性双生児の研究からは、まったく育てられ方が違っても、二人には驚くほどの類似性が見られることがわかっている。これを見ると、やっぱり人間は「生まれ」によって決まるのだと思えるだろう。一方、生まれたてのひな鳥は最初に見た相手を親だと認識し、その後をついて回る。この「刷り込み」という現象は、ひな鳥が「白紙」の状態だったからこそ起こるものではなかろうか。

だが、この考え方はどちらもおかしい、と著者は言う。問題は「生まれか育ちか」の二者択一ではないのである。そもそも学習がなぜ成り立つかといえば、学習するという機能が遺伝情報の中に組み込まれているからにほかならない。さらに言えば、遺伝子はもともと膨大な情報をもっていて、その中のどの部分が活性化するかは、環境によっても左右される。

確かに、すべての要素は遺伝子の中にある。だが、どの要素が活躍するかを決める遺伝子のスイッチは(それ自体も遺伝子なのだが)、環境によって押されることもあるのである。これがつまり、著者の言う「生まれは育ちを通して」、つまり本書の原題「NATURE VIA NURTURE」ということなのである。

【2157冊目】長谷部恭男『憲法学のフロンティア』

 

憲法学のフロンティア

憲法学のフロンティア

 

 
憲法」という言葉がタイトルに出てくる本といえば、法学者による解説書か、護憲もしくは改憲どちらかに染まったイデオロギー本がほとんどで、一般読者が読んで面白い本はそれほど多くない。本書はその、数少ない「素人が読んでも面白い」憲法の本である。ただし、決して「簡単な」本ではない。それなりに自分で論理を組み立てながら読んでいかないとあっという間に置いていかれるので、ご注意を。

判例や学説の羅列ではなく、生きた素材を扱いながら「憲法的な見方」を深めていくように書かれているのが良い。多チャンネル時代の「放送の自由」を論じた第8章などは、スカパーやWOWOWが広まりだした時代の雰囲気を映していて興味深い(ネットフリックスやAbemaTVのある現代は、また違った議論が必要になるのかもしれないが)。インターネット時代の通信規制を考えた第9章も、今でも十分通用する議論だと思われる。

そして、本文以上に面白い(失礼)のが、各章の終わりに挿入されている「プロムナード」と題したエッセイだ。こういう文章が書けるのは、よほどうがった(あるいは、ひねくれた)ものの見方と、それをウィットにくるんで展開する文章力の持ち主だけである。そのあたりの雰囲気がわかるフレーズを、いくつか引用してみよう。

 

「カラオケを歌うかりそめの同胞集団にコミットすることは、その同胞集団とこの世の不条理性という奥義を共に分かち合う能力をコミットする人に与える」

 

 

 

「多くの法令の役割は、どれでもよいがとにかくどれかに決まっていてくれなければ皆が困ることについてどれかに決めてくれることにある」

 

「「東京大学」など聞いたこともないという人からすれば、「東大教授」たる筆者の講義も妙な中年男が妙齢の男女を相手に妙な話をしているように見えるだけであろう」

 

【2156冊目】稲垣足穂『ヰタ・マキニカリス』

 

 

タルホの文芸は、タルホにしか書けない。一行目から、それがどこにもない世界であることが伝わってくる。本書に収められているどの短編も、どれをとってもタルホの刻印が押されている。それは文章という名の刻印なのだ。

「ガス燈と倉庫のあいだを抜けた私が、同時に、くるくるとレンガ塀のおもてを走った自分の影法師を見た時、シュッ! と小さなほうきぼしが頭の上をかすめて、プラタナスの梢にひッかかったのです」(「緑色の円筒」より)

 



こんぺいとうのお星様に、ブリキの屋根とキネオラマのお月様。科学の精神がそのままに幻想的な世界観に宿っている。それは雲母のように薄い街なのだ。薄板界という世界なのだ。

「ぼくが考察するに、この世界は無数の薄板の重なりによって構成されている。それらはきわめて薄く、だから、薄板面にたいして直角に進む者には見えないけど、横を向いたら見える。しかしその確度は非常に微妙な点に限定されているから、よこの方を見たというだけでは、薄板の存在をたしかめることはできない。そして現実はわれわれが知っているとおり、何の奇もないものであるが、薄板界はいわば夢の世界であって、いったんその中へ入りこむならどんなことでも行われ得る」(「タルホと虚空」より)

 



そして本書には、タルホの飛行機フェチぶりと機械感覚に満ちた作品もいくつか入っている。なんといってもタイトルの「マキニカリス」とは「マシーン、機械、からくりつまり宇宙博覧会の機会館」なのである。もちろんここでいう飛行機とはジャンボジェットなどではなく、昔ながらの複葉機。そのロマンティシズムは、どこかサンテグジュペリを思わせる。

なんともすばらしい、折に触れて読み返した一冊。

【2155冊目】ヤマザキマリ『男性論』

 

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

 

 
ハドリアヌスプリニウス。フェデリーコ2世。ラファエロ。スティーヴ・ジョブス。安部公房水木しげる

一見とりとめのないラインナップだが、これが著者にとっての「お気に入りの男性リスト」。共通点は、人文系と理数系、リアリストと空想家の2つの貌を併せ持ち、時代に流されず、むしろ時代を創るような人物だ、という。

昔の偉人ばっかりじゃないか、と思われるかもしれないが、著者は単なる崇拝の対象として、これらの人物を選んだのではない。ラファエロなどに対しては、むしろ本気で「同時代に絵を描きたかった」「ラファエロのチームに参加したかった」と思うというのである。だから著者は言う。「同時代の同空間に生きている人たちとの狭い横の連帯なんか気にしない。横軸を広げるだけでも十分世界は拡がります。でも、ぐっと時間軸を縦に掘り下げ、属性として自分と同じタイプの人間がいないか探していくと、ひとはいまよりも自由になれることがあります」

相手は男性とは限らない。女性であっても、やはりスゴイ人には憧れるし、刺激を受ける。須賀敦子兼高かおるソフィア・ローレンモニカ・ベルッチがそういう相手だとか。でも、本当の恋情とはそういうものなのだろう。身近に魅力的な人がいることももちろんあるが、それだけに限定してはもったいない。

自分だったら、歴史上のどんな人物に「惚れる」だろうか。そこにはどんな共通点があるだろうか。そういう人物が見つかれば、それこそが私自身のロールモデルになるのだろうが・・・・・・。

 

みなさんが「恋する」人物は、誰ですか?