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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1827冊目】穂積陳重『法窓夜話』

法窓夜話 (岩波文庫)

法窓夜話 (岩波文庫)

著者は明治民法起草者の一人であり、枢密院議長まで務めた明治法学会の超大物だが、本書自体は、法律をぜんぜん知らなくても、お気軽に読める一冊。法をめぐる雑談、奇談、逸話の数々は、法の世界の「楽しみ方」というものを教えてくれる。ただし書かれた時代が時代なので、文章のトーンが最初はとっつきづらいかもしれない。

息子の穂積重遠氏が書いた本書の序文によると、毎晩10時が穂積親子の「お話の時間」だったという。重遠氏はそこで、父の語る「法律史上の逸話、珍談、古代法の奇妙な規則、慣習、法律家の逸事、さては大岡裁きといったような」面白法律談を聞いていた。その内容を思い出しつつ書き綴ったことが、本書を編むきっかけになったらしい。

そのためもあって、本書は難しい法律論など一切出てこない。しかし、面白おかしく語られるエピソードの中に、著者の法律に対する考え方や、法律を通した日本人論のようなものが時折キラリと光る。

例えば、本書の中でも面白いのは「名裁き」をめぐる逸話なのだが、中で賭博を撲滅した「竹内柳右衛門の新法」というのが紹介されている(第16話)。

これは、賭博が流行した伊予西条領で発布された新令のことなのだが、これが「全く賭博の禁を解き、ただ負けた者から訴え出た時には、相手方を呼出して対審の上、賭博をなした証迹明白な場合には、被告より原告に対してかち得た金銭を残らず返戻させる」というものだった。つまり負けた奴が訴え出れば負け金を返させるということにして、賭博自体はやってもOK、というルールをつくったのだ。

一見すると巧みな立法で、実際にこの新法により「賭博をして勝ったところで一向得が行かず、かえって汚名を世上に晒す結果」となり、賭博の抑止につながったというが、しかし著者はこの法を「根本的に誤れる悪立法」と断ずる。なぜか。

「竹内の新法は、同意の上にて悪事を倶にしながら、己が不利な時には、直ちに相手方を訴えて損失を免れようとする如き不徳を人民に教うるものであって、善良の風俗に反すること賭博その物よりも甚だしいのである。これけだし結果にのみ重きを措き過ぎて、手段の如何を顧みなかった過失であって、古えの立法家のしばしば陥ったところである」


つまり「立法者は片時も道徳を度外視してはならない」ということなのだ。著者はこれを「古えの立法家」に限って論じているが、現代にあってもまた、これに近い立法が行われる可能性は少なくないように思われる。特に、一見人情の機微に通じて巧妙と思われる法ほど危なっかしい。「立法は須らく堂々たるべし」と著者は結んでいる。

一方、参考になると思われるのが「板倉の茶臼、大岡の鑷(けぬき)」(第39話)。板倉周防守重宗の裁きについて触れたものだが、重宗は白洲との間の障子を閉め切り(つまり訴人が見えないようにして)、茶をひきながら障子越しに訴えを聞いたという。その理由を、重宗はこう語ったらしい。

「(前略)心静かなる時は手平かに、心噪(さわ)げば手元狂う。訴を聴きつつ茶を碾くのは、粉の精粗によって心の動静を見、判断の確否を知るためである。なおまた人の容貌は一様ならず、美醜の岐(わか)るるところ愛憎起り、愛憎の在るところ偏頗生ずるは、免れ難き人情である。障子を閉じて関係人の顔を見ないのは、この故に外ならぬ」


現代の裁判官は、全員、この言葉をケンケンフクヨーすべきであろう。

海外のエピソードも多数紹介されており、これまた非常に面白いものが多い。忘れられないのは「ハネフィヤ、職に就かず」(第2話)で、これはイスラム教徒の高名な法学者、ハネフィヤをめぐるエピソードだ。このハネフィヤ、生涯を法学研究に捧げようとの大志を立て、どんなに誘われても判官(裁判官のことか)になろうとせず、そのためカリフの怒りを買って投獄され、牢の中で生涯を終えたという。

なぜこのエピソードが忘れられないかというと、著者自身もまた法学研究に専念したいとの希望をもち、「法律進化論」という着想まで得ていながら(著者は英国留学時にダーウィンやハクスリー、スペンサーらの思想に触れ、格別の関心をもった)、晩年は枢密顧問官や臨時法制審議会総裁、さらには枢密院副議長・議長といった公務に忙殺され、本当に望んでいた学究の日々を送ることができなかったからだ。

ここまで言ってしまっていいのかどうかわからないが、おそらく著者が真に望んでいたのは、ハネフィヤのような学究の日々のほうであったのではないだろうか。そして、命を賭してまでその道を貫いたハネフィヤになれなかった自身への悔恨が、このエピソードには滲んでいるように思うのである。

法律史として興味深いのは、フランス法を学んだ学派とイギリス法を学んだ学派が当時対立しており、そのため民法・商法の施行延期、さらには民法の抜本的な「作りなおし」が行われたという逸話(第97話)。著者はこの「作りなおし」において起草者の一人となったのだが、その際の議会を巻き込んでのゴタゴタが詳細に綴られているのである。

だいたい明治当初から日本の法学会はフランス系とイギリス系に分かれ(ドイツ系のポジションがよくわからなかったが)、大学もフランス法系が司法省系、明治法律学校(今の明治大学)、和仏法律学校(今の法政大学)、イギリス法系が東京開成学校(今の東京大学)、東京法学院(今の中央大学)、東京専門学校(今の早稲田大学)とキレイに分かれていたらしい。このあたりはどういうカタチで今に残っているのだろうか。

なお、第100話「法諺」の冒頭、西洋と日本(東洋)における法概念の違いについて触れているが、これがよくある指摘とはいえ、やはり重要なポイントであるように思われる。最後にちょっと引用しておく。

「西洋諸国では、法は人民中に自治的に発達したもので、いわゆる「民族法」をなしたものであるから、法律に関する諺も自然に民間に多く行われるようになって来たものである。これに反して、東洋においては、法は神または君の作ったもので、人民はかれこれ喙(くちばし)を容れるべきものではないとなっておったから、法に関する諺が自ずから人民間には出来なかったものであろう」