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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1815冊目】ハウス加賀谷・松本キック『統合失調症がやってきた』

統合失調症がやってきた

統合失調症がやってきた

こないだ読んでいた障害者関連の本の中で、読み落としていた一冊。

お笑いコンビ「松本ハウス」を御存知だろうか。

私は、なんとなく名前程度は聞いたことがあるな〜、くらいにしか思っていなかったのだが(「ボキャブラ天国」なんかに出ていたらしい)全然知らなかったのは、そのひとり、ハウス加賀谷が「統合失調症」だったということだ。本書はその病歴、コンビ結成から活動休止まで、そして精神病院への入院と退院の日々を綴ったノンフィクションだ。

二人が活動休止を決めたのは1999年。ハウス加賀谷の病状が悪化し、入院せざるを得なくなったためだった。びっくりしたのは、ハウス加賀谷がコンビ結成前から統合失調症を発症していた、ということ。てっきり芸能活動中に発症したのかと思っていた。

だいたい、ハウス加賀谷の「ハウス」とは、加賀谷が入っていた精神障害者グループホームの名前から来ているという。家を出てグループホームに入ったきっかけは「高校の廊下が波打って、ぼくを呑み込もうと襲ってきたかのよう」な強烈な幻覚が見えたことと、母がクリニックの先生に言われた「加賀谷家は家庭として機能していないから、潤くん(ハウス加賀谷のこと)を一時的にグループホームに入れましょう」という言葉だったという。

確かに、本書に綴られている加賀谷家の状況はかなり壮絶だ。外ではエリートサラリーマンだが家に帰ると暴れる父親。そんな父と離婚しないのは潤のため、と言い、ハードな受験勉強を強いる母親。親の顔色をつねに伺い、嫌なことも嫌と言えず「石の仮面をかぶって」いた小学生の潤。塾をやめることになったきっかけは、真っ黒になったノートだったという。ノートのページをめくることができなくなり、同じ見開きのページに何度も鉛筆を走らせていたのだ。

もっとも、こうした家庭環境が統合失調症発症の「原因」である、というワケではない。そもそも、統合失調症発症のメカニズム自体、まだよくわかっていないのだ。だがいずれにせよ、加賀谷は中学生で早くも「お前は臭い」という幻聴に悩まされるようになる。

本書には、徐々にエスカレートしていく幻聴や幻覚の恐ろしさが、体験者にしか語れない圧倒的なリアリティで描写される。「臭い」という声で本当に自分は臭いと思いこむ。そのうち「世の中は全部敵である」とさえ考えるようになる。幻覚では廊下がゆがみ、いないはずの人間が見える。それを「幻覚でしょ」「幻聴でしょ」と否定すること空しさも、本書を読めばわかるだろう。だって誰がなんと言おうとも、本人にとってはそれこそが「現実」なのだ。

それでもグループホームに入り、症状も落ち着き、将来のことを考えられるようになったのは幸いだったろう。そこで加賀谷の頭にひらめいたのが「漫才をやりたい」という思いだったというのが面白い。いったいどこから「漫才」がでてきたのだろうか。

加賀谷はアルバイトをしてお金を貯め、大阪に行ってお笑いの劇場を回り、お笑い事務所に履歴書を送ったところ合格。そして、相方である松本キックに出会う。

この松本キックとの出会いが、おそらく加賀谷にとっては人生最大のラッキーだったように思う。松本は、当初は加賀谷が病気であることさえ知らなかったというが、そのことを知ってからも、病状が悪化していく加賀谷を見守り、声をかけ、活動休止もこころよく受け入れた。こういう人、なかなかいない。

もっとも印象的だったのは、ひどい無気力状態で感情を抑えきれなくなっていた加賀谷が、それでもどうにか仕事を終えて家に帰った深夜、松本キックがFAXを送ったというエピソードだ。そこには「簡単なことはするな それはつまらないから 俺もそれはしない」とだけ書かれていたという。

「キックさんは分かっていたんだ。
 分かっていて何も言わなかったんだ。
 「こんな体、壊してしまえ」と思っていたが、このままではキックさんを悲しませてしまう。申し訳ない。ぼくは何をしようとしてたんだ。そう思うと泣けてきた。泣いて、泣いて、体中の水分がなくなるほどぼくは泣いた。その涙は、明らかにそれまでとは違う涙だった。
 自殺という言葉を使わなかったのは、キックさんの優しさだ。
 「自殺するのは、芸人として面白くない」
 キックさんは、そう言いたかったんだと思う」(p.106)


その後、それでも病状がこじれにこじれた結果、加賀谷は入院することになる。この入院先の病院の描写がまた迫真なのだが(吾妻ひでおの『アル中病棟』に匹敵する)、なんといっても胸打たれるのは、ここでもまた、入院から退院、通院治療と、10年にもわたる「休止期間」の間、遠くから見守り続けた松本キックとの関係だ。本書の第4章には、社会復帰のためアルバイトをした加賀谷の体験談を漫才形式で松本キックが聞いている「対談」があるのだが、これがもう、めっぽう面白くて、しかもその奥にある松本キックの愛情がじんわりと感じられてたまらないのだ。

本書は、芸人として復活を果たし、「松本ハウス」の二人でステージに出ていく光景で終わる。だが、統合失調症の治療がこれで終わったワケじゃない。加賀谷はおそらく、生涯にわたってこの厄介な病気と付き合っていかなければならないのだ。だがまあ、松本キックが脇にいてくれさえすれば、加賀谷は大丈夫だろう。そう信じたくなるような、これはすばらしい一冊でありました。

失踪日記2 アル中病棟