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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1708冊目】『図書館が街を創る』

行政・自治・分権

図書館が街を創る。 「武雄市図書館」という挑戦

図書館が街を創る。 「武雄市図書館」という挑戦

テーマ読書。今度は「図書館」。20冊ほどを一挙紹介する予定。

最初は、自治体関係者の間で話題に事欠かない町、佐賀県武雄市の「武雄市図書館」をめぐる一冊にした。ここはある意味、日本の図書館の「突端」にいる施設である。

この図書館は2013年、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)を指定管理者としてリニューアル・オープンし、休館日の廃止、書店やスターバックスコーヒーの併設、Tカードの利用(ポイントもたまる)など、従来の図書館では考えられないような斬新なスタイルを取り入れた。ちなみにCCCは言わずと知れた「TSUTAYA」を運営する会社。

導入の経緯がおもしろい。たまたまテレビを見ていた樋渡市長の目に、代官山蔦屋書店とその経営者が映ったのがきっかけだった。「これだ!」と直感してすぐ東京に飛んだ市長は、まさにその書店を路上で眺めていたその経営者、増田宗昭を見かけ、その場で声をかけたという。「うちの街の図書館をお願いしたい」と。

「普通の」自治体の指定管理者決定プロセスの複雑さと面倒臭さを知っている方なら、腰を抜かすようなやり方だ。だが樋渡市長の考え方はまったく違う。本書に収録されている、コミュニティデザイナーの山崎亮氏との対談で、市長はこう言っている。

「僕が大切にするのは、基本的にスピードなんですよ。スピードが最大の付加価値。実は行政にしか、このスピードは出せない。だって僕らには株主はいないわけです。4年間は付託されているわけだから。もちろん、批判は強いです。いちばんよく聞くのは”拙速だ”と。でもそれも意見ですよね。意見が出るのは、決して悪いことじゃない」(p.11)


これは、たいていの意思決定プロセスとまったく逆である。「普通」は、いろんな人の意見を聞き、議論し、それをまとめあげてひとつの政策を編みあげていく。だが樋渡方式は、いきなり結論を出してから意見を聞き、それによって内容を詰めていったり軌道修正していくのだ。

しかし、考えてみればこれはきわめて合理的なやり方だ。ゴールが見えた状態から議論が始まるので、批判や意見は具体的で、しかも切実なものになる。ヘタなパブリックコメントよりはるかに効率が良いし、おそらくは質の高い批判や意見が集まるのではないか(中には無茶苦茶な言いがかりのようなものもあるだろうが、それはどんな順序を踏んでも出てくるものだ)。

今回の武雄市図書館でも、「ツタヤ図書館」などと揶揄されたり、利益優先の運営が行われるのではないか、といった危惧が表明されてきた。だが同時に「そもそも図書館とは何なのか」というラディカルな問いが議論の中から生まれてきたのだ。従来通りの直営図書館としてのリニューアルだったら、そんな議論にはならなかっただろう。

例えば、なぜ貸出しにポイントをつけてはいけないのか? 図書館とカフェを併設することはなぜマズイのか? 図書分類を旧来のものから変えるのはなぜか? だいたいなぜ図書館には休館日があるのか?……エトセトラ、エトセトラ。

市長の「ムチャ振り」から思考をスタートさせると、否応なくこうした根本的なことを考えざるを得なくなる。そしてそれは、今まで「図書館とはこうしたもの」という「常識」に覆い隠されて、今までまともに検討されないままできたことばかりだったのだ。

だから本書は、武雄市図書館の「新しさ」をアピールすることで、同時に図書館という施設への問いかけにもなっている。しかもそこに、武雄市図書館以外の「本」をめぐる様々な試みがいろいろ紹介されているので、図書館について多角的に考えることができる。ブックフェスティバルで名を馳せた高遠町(長野県)、山奥に「日本一の古書店」がある只見町(福島県)、故郷の作家、井上ひさしの蔵書を公開する「遅筆堂文庫」を擁する川西町(山形県)……。中でも、『本の国の王様』のイギリスの「本の独立国」ヘイ・オン・ワイが出てきたのにはびっくりした。

そしてもう一つ、カルチュア・コンビニエンス・クラブのCEOである増田氏の文章がエピローグとして載っているのだが、これが実にすばらしかった。TSUTAYAや「蔦屋書店」には今まで特段の思い入れもなかったが、これを読んでだいぶ印象が変わった。

例えば増田氏は、顧客価値について論じる中で、モノそのものに顧客価値が内在する第1ステージ、モノ自体からモノを選べる場(プラットフォーム)に顧客価値を見出す第2ステージ、提案力が顧客価値になる第3ステージと、顧客価値の所在が時代によって変わってきていることを論じる。そしてそれを踏まえて、タイトルだけでもビックリの「書店は本を売る場所ではない!」という章には、次のような文章が出てくるのだ。

「(本が売れないのは書店に問題があるのではないか、との問題提起を受けて)では、その問題とは何か? 私はそれを、書店が本を売っていることではないかと考えている。…(略)…本という物体を売っても、仕方がないのではないかと思うのだ。これが第1ステージの時代なら、話はわかる。人は本というモノを求めたかもしれない。しかしいま、人が求めているのは、提案なのだ。その提案が凝縮されているものが、たまたま本なのである。ならば本を売ろうとするのではなく、その中の提案を売ろうとするべきなのだ。そうすれば結果的に、その提案が載っている本が売れる」(p.121)


これは書店だけでなく図書館にも通じる話だ。図書館だって、本をただ置いて貸しているだけでは、よく揶揄されるようにただの「無料貸本屋」になってしまう。もちろん調べ物をしようとすれば司書もいるし、武雄市図書館ならコンシェルジュもいるが、それよりもまず、本の並びの中に「提案」が含まれていなければならないのである。

言い換えれば、本を単に日本分類十新法で並べるだけでなく、その並びそのものが意味をもち、物語をもつような本棚観が必要になってくるのだ。某書店の有名な「文脈棚」などは、まさにそういった「提案」の本棚とも言えるように思う。

だから「ツタヤ図書館」を批判するのは勝手だが、特に図書館関係者は、その前にこの図書館から謙虚に学ぶことがたくさんあると思うのだ。はっきりいって、現代の日本の「図書館業界」は、武雄市の揚げ足取りをしているような状況ではないんじゃなかろうか。明日以降に取り上げる本を通じて、このあたりの事情についてはあらためて考えていきたい。

本の国の王様