読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1568冊目】梶山雄一・上山春平『仏教の思想3 空の論理〈中観〉』

空の論理「中観」―仏教の思想〈3〉 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

空の論理「中観」―仏教の思想〈3〉 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

こないだ読んだ「アビダルマ」に続く仏教の思想シリーズ。第1部が総論、第2部が対談、第3部がテキスト(本書では「中論」)の読み解き、という構成も同じ。

本書を読むにあたっては、実はやはり以前読んだティク・ナット・ハンの『小説ブッダ』にかなり助けられた。

本書を貫くキーワードは「空」であるが、これを「無」とか「非存在」とイメージしてしまうと、とたんに本書の説明はワケが分からなくなる。空とは単なる存在の否定ではなく、本体として(他のものと区別されて)存在することの否定なのだ。すべては相互に依存しあっている、ということなのである。このことを前もってティク・ナット・ハンの本で読んでいなかったら、もっと混乱していたかもしれない。

ただ、そうなるとアビダルマにおける縁起理論と、本書が主に拠って立つナーガールジュナの理論はどう違うのかが問題になる。この点については、対談の中で梶山氏が次のように説明しているくだりが分かりやすい(……かな?)

「縁起の理論を一応完成するのはやっぱりアビダルマでしょうけれども、そういうものでは、一つのものと他のものの関係が成り立つには、両方のものが存在しなければいけない。だから存在している二つ、あるいはそれ以上のものの間に因果関係であるとか、論理的な関係が成り立つのだというように解釈する。
 それに対してナーガールジュナは、そうじゃないんだ、そういう関係が成り立つためには、ものは変化しうるものでなければならない。変化しうるためには、ほんとうの意味では存在していないというか、本体を持っていてはいけないのだというわけです。だからものが空であるときに、はじめて因果関係であるとか、論理的な関係であるとかいうものが成り立ってくる」(p.254〜255)

つまりナーガールジュナにおける「存在」とは、そのものの不変性までを「込み」として考えているということだろう。そしてナーガールジュナは、こうした存在論に対して、言葉というものをぶつけて考えていく。

結論から言うと、言葉とそれによって示されているものは一致しない。「およそ名辞というものはすべて実在する本体をもたない」(p.145)とまで言うのだから、これは徹底している。別のところでは「ナーガールジュナはことばを本質したわれわれの認識過程を倒錯だといっているのである」(p.76)とまで書かれている。

「本体とはことばの実体化であり、空性とはことばを離れた直観の世界の本質である」(同頁)

だから言葉に執着してはならないのだが、ここで問題となるのは、「空」という言葉自体はどうなのか、ということだろう。これもまた結論のみを書いておくと、空もまた空ぜられるべきなのである。空を絶対視することもまた誤りなのだ。

ナーガールジュナの哲学は「否定」と「打ち消し」の哲学だ。それがもっとも徹底したかたちで現われたものに「四句否定」という有名な命題がある(もっとも、著者によると四句否定自体はナーガールジュナの創見ではなく、すでに初期経典に見られるという)。例えば中論には、次のような言葉が出てくるらしい。

「世尊(ブッダ)はその死後に、存在するとも、存在しないとも、その両者であるとも、両者でないともいうことはできない」

あるいは、こうもいえるだろうか。

「これは真実であるとも、真実でないとも、その両方であるとも、その両方でないともいうこはできない」

こうした論理命題は一見するとギョッとするほど難解だが、それまでの話の流れからすると、要するにナーガールジュナは、「言葉を以て言葉を離れる」ためにこのような構成を立てざるを得なかったのではないかと思われるのだ。ちなみにこれをさらに推し進めたのが、おそらく禅であり、特にその公案なのではなかろうか。

思えば、我々は「素のまま」で世界を見ているようでいて、実は言葉によって世界を把握していると言えなくもない。ナーガールジュナは、いわばそのくっつき合った関係を偽りのものとして引きはがそうとしたように思われる。ちなみに、著者(上山氏)はもっと過激な言い方をする。

「彼は、外道の新興思想であるヴァイシェーシカニヤーヤなどに深い影響を受けてブッダの教えを歪曲する危険をおかしつつあった有部アビダルマ論師たちのスコラ的論議を、空観の爆薬でふきとばして、ブッダの教えの原始の姿を回復しようとしたのである」(p.302)


それにしても、このシリーズはなかなか良い。第1部がちょっと難しいが、第2部の対談でややこしいところがほどよくほぐされ、第3部でさらに深いところまで突っ込める。オリジナルは40年以上前に刊行されたはずだが、時代を感じさせない分かりやすさも上出来だ。拍手。

小説ブッダ―いにしえの道、白い雲