自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1345冊目】橋爪大三郎『政治の教室』

政治の教室 (PHP新書)

政治の教室 (PHP新書)

政治とは何か。民主主義ってどうなのか。なぜ日本の政治はなかなかうまくいかないのか。日本国憲法って何なのか。政治を活性化するためにはどうすればよいのか。

本書は、こんな「超難問」の数々に、びっくりするほど明快で的確な答えを示す一冊だ。特に、その論理のクリアカットな切れ味には恐れ入る。政治の本質から現状から理想までが新書一冊で一望できる本なんて、他にはない。

著者はまず、政治の本質を「決断すること」に置く。いくつかの選択肢からひとつに決断することによって、その選択肢が現実化する。したがって政治とは、決断によって現実をつくり出すはたらきである、とも言える。

しかし、自分一人ならともかく、何人もの人々を巻き込む決断、決定は難しい。人々をある決定に従わせるには、その決定の「正統性」(レジティマシ―)が必要だ。ここで大事なのは、この「正統性」は、決定自体の「正しさ」とは別物である、ということ(ここのところを混同している人は、テレビのコメンテーターなどを含め相当多い)。

実際問題、何が正しいかなんて、そうそう簡単にわかるもんじゃない。そんな中で決定を行い、現実をつくり出していくには、どういう決め方なら(結論に不満があっても)その決定に従うか、というルールを決めるしかない。つまりは手続きの合意に関する問題なのだ。

それはかつては「神託」であったり「王が決めたこと」であったり「過去の慣習」であったりした。民主主義において多数決の結果にみんなが従うのも、その結果が「正しいから」ではなく「何かを決めるには多数で決めようと合意しているから、それが全員を拘束する」(p.91)にすぎないのだ。そして、「正統性」の問題をどう読み解くかが、政治そのものの理解のカギとなってくる。

本書はまず「原理編」として、こうした議論を念頭に置きつつ、民主主義の原型であるギリシャの民主制、統治契約という概念を生みだしたユダヤ教の政治思想、民主主義と真っ向からぶつかる儒教の政治思想を紹介していく。

ギリシャはともかくユダヤ教儒教がこうした本で紹介されるのはめずらしいように思うのだが、しかし言われてみれば確かにユダヤ教の統治思想はまさに近代民主主義のルーツであり、儒教は中国のみならず陰に陽に日本人のメンタリティに影響を与えているし、そもそも中国政治の読み解きには儒教は欠かせない(共産主義儒教の相性の良さを指摘しているくだりも面白い)。特に上下関係を重視する儒教と水平的平等を前提とする民主主義の相性の悪さについての論及は、中国政治のみならず、民主主義がイマイチ根付かない日本の現状を知る上でも必読だ。

そして、それにつづく「現実編」であるが、日本の政治史を見事に読み解いたこの一編こそが本書の白眉と断じたい。中でも痛烈だったのは、大日本帝国憲法日本国憲法という、近代日本がもった二つの憲法が、実は双子のように良く似た構造をもっているという指摘だ。

両者の最大の共通項は、人民こそが憲法制定権力であるという、近代民主主義の常識が根本から欠けているという点である。そのかわり憲法の上位概念として君臨しているのが、戦前は天皇、そして戦後は「アメリカ大権」なのだ。だからこそ戦前は「統帥権」によって、国家の支配下に軍隊が存在する西洋の常識では考えられないような軍部の暴走が引き起こされ、戦後は憲法の欠陥を日米安保条約が補完し、日本は憲法と「アメリカ様」の間で引き裂かれ、翻弄され続けてきた。憲法の上位概念である憲法制定権力が国民の「外部」に所在するという点に着目する著者の分析は、目がさめるほどの鮮やかさだ。

第三部は「改革編」であり、ここでは選挙制度や政治資金の問題、人材発掘や情報のあり方などについて具体的な提言がなされている。ここでなるほど、と膝を打ったのが、「職務と人格を分ける」という欧米の発想だった。

例えば、アメリカでいえば大統領がどんなに人格的に低劣でも(クリントン大統領のセクハラ疑惑を思い出されたい)、大統領という「職務」に対する尊敬の念は変わらないという。言いかえれば、人格がどんなによくても、職務を全うできない人間はダメだということだ。このあたりの感覚は、外資系の企業にお勤めの方ならピンとくるかもしれない。

繰り返しになるが、重要なのは「結果を出すこと」「職務に対する責任を果たすこと」。ところが日本の場合、職務と人格がべったり貼りついている。だから「品性の劣った政治家が出てくると、その職務までが軽蔑の対象となってしまう。そして、そんな職務に就きたがる人間は品性も劣っているに違いない、という偏見を持つ」(p.196)という悪循環に陥るわけなのだ。だからこそ、有能な政治家が下半身のスキャンダルや「暴言」で辞任するという、結果からみれば国民にとって不幸な出来事が、この国では当たり前のように起きることになる。

新書一冊の紹介でずいぶん長くなってしまったが、これでも書き足りないことが山ほどある。それほど濃密で充実した一冊なのだ。政治なんて…、民主主義なんて…と諦めモードの方にこそ、一読してほしい。目からウロコがぼろぼろ落ちること請け合いだ。