自治体職員の読書ノート

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【1273冊目】城山三郎『落日燃ゆ』

落日燃ゆ (新潮文庫)

落日燃ゆ (新潮文庫)

東京裁判の矛盾や理不尽については、いくら書いても書き足りないが、とりわけ不可解なのが、本書の主人公である広田弘毅元総理への死刑宣告ではないだろうか。

絞首刑となった7人のうち、唯一の文官であるというだけではない。その生涯は、外交官、外務大臣、総理大臣として、戦争の回避と抑止への努力で埋め尽くされていた。軍部の暴走を食い止めようと奮闘し、あらゆる外交努力を重ね、特に中国との開戦前夜には、ギリギリの外交交渉を行い、しかしそれをことごとく軍部に妨害されてきた(もっとも、他の本と読み比べると、いささか著者によるひいき目はあるかもしれない)。そんな生涯の結末が戦争犯罪人としての死刑宣告だとするならば、これほどの理不尽、これほどの不条理があるだろうか。

唯一理由を求めるとすれば、広田自身が東京裁判において、いっさい自己弁護を行わず、減刑のための主張をしなかったこと、だろうか。もともと、広田は自身の生死については、外交官時代からずいぶん恬淡としていたようだ。生に対する執着があまりなかった、と言ってもよい。だからこそ、2・26をはじめとした血なまぐさい事件が起きる中、身の危険をかえりみず、軍部に対抗して協調外交に取り組むことができたのだろう。

さて、本書は広田弘毅の生涯を描いた評伝文学であると同時に、軍部の暴走を止められず、戦争になだれこんだ当時の日本を描く歴史文学でもある。関東軍の独断専行にはじまり、いかに日本の政治が脆弱であり、軍部によって鼻面を引きまわされてきたかが、文官であった広田の視点から詳細に記述されている。東京裁判を理不尽と書いたが、思えば満州事変日中戦争もまた、広田にとっては理不尽以外のなにものでもなかったろう。その理不尽に真正面から抗うのではなく、自身のおかれた立場で淡々となすべきことをなす、というのが、広田の人生であったのかもしれない。

本書の中でも特に、東京裁判の判決言い渡しから絞首刑の執行までは、涙なくして読むことはできない。そして、その涙越しに、最後まで背筋をのばして自身の運命を受け入れた広田の姿を想像したとき、ふと思ったのは「あっ、サムライ」ということであった。あわてて読みなおしてみれば、常に死を受け入れ、恬淡として自身の使命を果たす広田のありようは、まさに武士道の見本、ホンモノのサムライの姿そのものではないか。皮肉なことに、昭和の時代におけるサムライは、保身と自己弁護と責任のなすりあいに終始した軍部の指導者ではなく、背広を着た文官だったのかもしれない。