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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1255冊目】山崎亮『コミュニティデザイン』

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザインという言葉自体は、日本では、1960年代あたりからあったらしい。もっとも、もともとこの言葉は「ある地区を設定して、その物理的な空間をデザインすること」(p.19)という、ハード中心の概念であった。場所を提供すれば、そこに自然と人と人とのつながりが生まれるだろう、という発想が、そこにはあったという。

それから50年が経った。社会の様相は大きく変わった。その中で、ハードのデザインだけでは解決できないことが、いろいろと見えてきた。そうした状況の中、著者が向かったのは、モノをデザインするのではなく「人のつながり」そのもののデザインだった。

そんなことができるのか、とも思わされるが、本書で取り上げられている事例はどれも、実際に著者やそのグループが作り上げた、目に見えない「人とのつながり」のデザインそのものである。著者のいうコミュニティデザインとはどんなものか知りたければ、実は本書を読んでしまうのがいちばん早い。

しかし、物理的な「公園」とか「広場」ならともかく、目に見えない人とのつながりを生み出すために、著者はどんな「デザイン」をしたのだろうか。そのメソッドはいろいろあるが、興味深いのは、「つくらない」という方法だ。

たとえば公園のデザインを任されたのであれば、ある程度の物理的なデザインも行うが、同時に「来園者自身が公園をつくる」という仕組みをその中に組み込んでしまう。有馬富士公園での取り組みでは、50以上のコミュニティが公園を楽しい場所にするため協力している。一度作ったら終わり、ではなく、持続的に公園が「作り続けられる」ような仕組みをつくり出しているのである。

もちろん、ストレートなやり方だけではうまくいかない場合もある。そんなときの「絡め手」からの取り組みも参考になる。たとえば、大人たちがいがみ合っている場合には、子どもにプランを作ってもらい、子どもから大人への提案にしてしまう。男衆に話が通じないなら、その奥さんと仲良くなって、そこを糸口に地域に入り込んでいく。まさに硬軟自在のアプローチである。

言葉にするのは簡単だが、どれも実際にやるのは大変だ。相当な熱意とコミュニケーション能力がないと務まらない。中でもっとも活躍しているのが、実は学生さんだ。それまでの地域のしがらみから離れた中立性、柔らかな感性と軽いフットワークで、どんどん地域に入り込み、住民にはかえって気付かないような地域の魅力を発見していく。しかもそのプロセスの中で、学生自身も成長し、一人前の「まちづくりの担い手」に育っていくのだ。

ちなみに、本書には行政に対する注文もいろいろ書かれているのだが、どれもかなり耳が痛い。もっとも、耳が痛いのは、それが事実を指摘しているからだ、ともいえる。その言葉が著者の経験から発していることが痛いほどわかるから、なおさらである。

「この30年間で、公共的な事業に対する住民参加の手法はかなり開発されてきたように思う。にもかかわらず、行政側の態度はほとんど変わっていないことが気になる。公共的な事業に対する住民参加を求めるのではれば、行政参加の手法についても検討する必要があるだろう」(p.188)

また、大阪での取り組みを栃木県益子町と比較して、著者は次のように言う。

「『府と市と経済界の関係調整が難しくて』というもっともらしい言い訳を聞くたびに、時代の転換期には大都市から新しいことなんて生まれないのかもしれないという気分にさせられる。僕が知る地方の基礎自治体は危機意識がとても高く、変化への対応能力が高い。行政と市民とが本気で協働しなければ、目の前にある課題を乗り越えることができないのが明確だからだ。教育も福祉も産業振興も限界集落も、行政だけで解決できた時期はとっくに過ぎている。だからこそ、住民との協働が不可欠なのである」(p.219)

いずれも、まったくもってご指摘のとおりであろう。地域の公共課題を先に気付き、手を打っているのは住民やNPOであり、行政はすでにその「後追い」をしているにすぎない。私も含め、全国の自治体職員は「行政参加」という言葉をよく噛みしめる必要がある。