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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【878〜882冊目】マルキ・ド・サド/澁澤龍彦『ホラー・ドラコニア少女小説集成』

謎・恐怖・幻想

ジェローム神父 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

ジェローム神父 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

菊灯台 (ホラー・ドラコニア 少女小説集)

菊灯台 (ホラー・ドラコニア 少女小説集)

淫蕩学校 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

淫蕩学校 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

狐媚記 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

狐媚記 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

獏園 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

獏園 (ホラー・ドラコニア少女小説集成)

よい子は読んではいけません。

反社会性の中に真実がある。邪悪の中に究極の美がある。背徳の中に快楽がある。目を背けるなかれ。薄っぺらな道徳を振りかざし、偽善的な良識に頼る前に、この5冊を手にとって、おのれの心の中の暗黒に向き合うべし。正義面して彼岸から犯罪者を断罪するなど、百年早い。

1冊目の『ジェローム神父』は、サドの小説『新ジュスティーヌ抄』からの抄録。森の中で出逢った少女の恋人を射殺し、少女を木の枝で鞭打ちながら交わり、恋人の血を啜らせ、その心臓を切り刻んで口に入れるところから始まる。その後、シシリア島のメッシナで神父となった男は、「同僚」たちと共にたくさんの美少年と美少女を地下室に監禁して淫蕩の限りを尽くし、懺悔に訪れた少女を凌辱する。中でも院長がとんでもない。なにしろ少女に毒を呑ませて交わり、痙攣する身体の具合を愉しむというのだから。会田誠の絵がまた強烈。「とれたてイクラ丼」や「開きの天日干し」など、トラウマものの「傑作」だ。たぶん、この5冊の中で最も強烈な作品。

2冊目は、以前この読書ノートでも取り上げた澁澤龍彦の短編集『うつろ舟』所収の作品『菊燈台』。塩汲みの重労働に従事する下人のひとり、菊麻呂が脱走を図って長者につかまり、あわやというところを娘の志乃に助けられるが、頭頂部に油を満たした燈明皿を載せた人間燈台にされてしまう。長者が伊勢参りに出かけ、志乃と二人きりになった菊麻呂。ある日は燈明皿を載せた菊麻呂を志乃が鞭打ち、別の日は志乃が燈明皿を頭にのせて半裸のすがたをさらし、そしてまた別の日は……。菊麻呂と志乃が次第に二重写しに見えてくる。山口晃の描く両性具有者の挿画も、そういうことか。挿話「おかたさまとガータロ」も異様な印象を残す。これだけでひとつの短編になりそう。

3冊目の『淫蕩学校』は、サドの集大成的作品『ソドム百二十日』の入口部分、「4人の語り手と、8人の若い娘と、8人の少年と、能動受動の栽尾のための、巨大な一物を具備した8人の男、それから4人の召使の女」を集めるところまでを抜き出したもの。これから本番というところで話がブチっと切れてしまうのは残念だが、悪に満ちた快楽を準備するその徹底のきわみはものすごい。ちなみに「栽尾」とは澁澤龍彦の造語らしく、要するにアナルセックスのこと。澁澤龍彦は他にも、あからさまな性的用語を独特の典雅な言い回しで訳しているが、訳語がエレガントになればなるほど、かえってエロティックな雰囲気が漂うから不思議である。挿画は町田久美だが、これが見事なまでにハマっている。輪郭線が明確で、陰影とかグラデーションがまったくないのだが、それでいて平板になることがなく、不気味な「何か」が漂っている。このシリーズの4人の挿画者の中で一番衝撃的だったのは、実は「とれたてイクラ丼」の会田誠より、この町田久美だった。画集がほしい。

4冊目は、やはり以前取り上げた澁澤龍彦の短編集『ねむり姫』からの一篇『狐媚記』。これと次の『獏園』は、エロティシズムというよりオカルティシズムの側面が強い。守護大名の左少将の妻、北の方は、なんとある日、狐の子を産み落とす。狐と交わりがあったのではないかと疑われ、夫との間が冷え切ってしまった北の方。しかし、その裏側には摩訶不思議な「狐玉」をめぐる動きがあり、その因果はやがて、二人の間の子、星丸に巡ってくる……。挿画は鴻池朋子。たくさんのナイフが渦を巻くように飛ぶ独特の絵だが、この話のテイストにはややミスマッチか。

5冊目は、澁澤龍彦の連作短編『高丘親王航海記』からの一篇『獏園』。西洋オカルティシズムでもなく、後期にのめりこんだ日本古来の幻想でもない、東南アジアという新たな舞台を得て書かれたこの『航海記』は、日本の幻想小説史上でも一、二を争う傑作。中でも「夢を食う」という獏の伝説を巧妙に物語に盛り込み、王妃と獏のエロティックなシーンをラストに終わるこの『獏園』は、単独の小説としても非常に完成度が高い。挿画は第2巻と同じ山口晃だが、こちらはややユーモラスな面が前に出ている。中世の親王らの一行を現代の大学教授と学生のツアー風に描いてみたり、王妃が獏の一物をいじるシーンがいろんなテイストで描かれていたりと、非常に面白く、しかもこの小説の幻想味をうまくかきたてているように思う。

問題作といえば、どれもけっこうな問題作だ。決して万人向けではない。こういうのを見て、目を三角にして怒りだす人がたくさんいるのも知っている。まあ、見なかったことにするのも、それはそれで賢明な選択だろう。しかし、冒頭にも書いたが、人の「悪」を断罪し、非難しようとするならば、その前に自分の中にある「悪」を直視しなければならない、というのが私の立場。ワイドショーのディレクターと女性週刊誌の編集長は、安易なバッシング報道や記事を垂れ流す前に、おのれの中のサドや澁澤龍彦に出会うべきだ。