自治体職員の読書ノート

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【814冊目】川勝平太・鶴見和子『「内発的発展」とは何か』

「内発的発展」とは何か―新しい学問に向けて

「内発的発展」とは何か―新しい学問に向けて

前から気にはなっていたのだが、なかなか手に取る機会がなかった本。読んですぐ、なぜすぐ読まなかったんだろう、と大後悔した。今後の読書予定を大きく旋回せざるを得なくなってしまった。

「方法としての類推」というタイトルの第1章がいきなり凄い。演繹論でも帰納論でもない「第三の方法」なのだが、単なる社会科学上の方法論というだけでなく、これは世界認識の方法論である。南方熊楠今西錦司らが採っている考え方や研究の方法なのだが、その裏側には南方や今西らのもつ世界認識の方法でもあるのである。

具体的にはどういう世界観なのか。例えば今西錦司の場合、世界は一つのものから分かれたのであり、それゆえ「似ている」のであって「異なる」のだ、という。言い換えれば「相似」と「相違」である。この「相似」と「相違」によって、すべての生物は「類縁」関係にあるという。これは単なる学問上の分類とか、進化の系統樹とかいったものとは違う次元のものであるらしい。この「類縁関係」を直感的に見抜く能力が「類推」なのだという。ちなみに鶴見和子氏の弟の鶴見俊輔氏はこれを、パースの「アブダクション」のことである、と指摘しているらしいが、さて、どうだろうか。確かに直観による把握(当て推量、仮説形成)という点では似通っているが、その背景にある思想が根本的に違っているのではなかろうか。今西生物学のいう「類推」は、生物がもともともつ類縁関係が前提になっており、これを「見抜く」というところがポイントだと思う。しかしパースのアブダクションは、「本来的に存在するが隠れたものを見抜く」というものだっただろうか。

ちょっと脱線したが、こうした指摘に始まり、両者の対談は生物から地域、地球、人間と自在にめぐる。その内容の豊饒さはただことではない。特に、「方法としての類推」と並んで印象的だったのは、南方曼荼羅における「萃点」という考え方。これはまた、自己と他者、生物と無生物を自在に往還し、アニミスティックな独自の世界認識法。本書ではそのとばぐちしか示されていないが、この概念は凄そうだ。今後追っていきたいテーマが、またひとつできてしまった。

ちなみに本書のタイトルにもなっている「内発的発展」については、ひとことでいえば内因に基づく(外発的ではない)発展・成長ということなのだが、これがまた生物から地域、社会、国家に至るまで、とてつもなく射程の広い思想。これもまた、ここで簡単にまとめるわけにはいかない広がりと奥行きをもっている。一つだけ言えば、地方自治も国家の発展も、これを抜きにしては語れないと思う。