自治体職員の読書ノート

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【784冊目】森まゆみ『「谷根千」の冒険』

「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)

「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)

最初「谷根千」という名前を見た時には「ナニソレ?」と思ったが、昔ながらの下町情緒あふれる地域ということで、東京近辺では今やすっかり定着してしまった。ちなみに説明しておくと、「谷」は谷中(台東区)、「根」は根津(文京区)、「千」は千駄木(文京区)。すっかり観光地化してしまった上野・浅草に代わる、自然体の観光スポットといった風情のエリアで、いつ「浅草化」「ディズニーランド化」してしまうかとハラハラして見ているのだが、思いのほか観光客やマスコミに媚びず、その良さを残してきている。

その「谷根千」が知れ渡ったきっかけをつくったのは、実は行政でもマスコミでもない。本書の著者である森まゆみ氏のほか山崎範子氏、仰木ひろみ氏、鶴見よしこ氏(途中で離脱)という、なんと子供もいれば家庭もある女性4人が手作りで発刊した「地域雑誌谷根千」がすべての始まりだったのだ。本書は、この小さな雑誌が生まれるいきさつから創刊後6年を経たあたりまでの記録である。

読んでいて感じるのは、身近な小さいもの、小さいことへの視線が実によく行き届き、それが雑誌作りに反映されていること。地域の人々の表情や街並みの変化、ちょっとした出来事や事件など、本書のほとんども、そうした「小さなこと」でできあがっている。だが、思うに「まち」というものは、そもそも小さなことの集積でできあがっているものではなかろうか。本書には行政への辛口のコメントもあって自治体職員としては耳が痛いのだが、われわれ行政に携わる人間は、「大きな視点」「俯瞰した視点」でものを見過ぎているのかもしれない。

「鳥の目」「虫の目」という言い方がある。「地域雑誌谷根千」は、言うなれば「虫の目」の積み重ねでできあがっているものである。一方、行政やゼネコンが仕掛ける「市街地再開発」のようないわゆる「まちづくり」は、鳥の目で考えたものがほとんどだ。しかし、「鳥の目」から見れば当然と思えても、「虫の目」からすればおかしいというコトはいくらでもある。しかし、そうした「虫の目」から発する声はこれまでとても小さく、かぼそいものであった。「鳥の目」の持ち主たちは、いわばその声を黙殺し、踏みつぶして、その上に今の街並みを築いてきたのかもしれない。

本書や「谷根千」の活動は、いわば鳥の目に対する虫の目のアンチテーゼである。そして、その声が高まるにつれて「虫の目」は「鳥の目」に軌道修正をうながし、決定をひっくりかえし、行政をも変えてきた。そんな痛快さが本書には満ちている。おそらく、われわれは誰でも「鳥の目」と「虫の目」の両方をもつことが必要なのだろう。俯瞰した視点だけでなく、小さきもの、細部への慈しみと愛情がないと、どの町も開発が進めば進むほど殺伐としたものになってしまう。なぜなら、人は仕事では「鳥の目」になることがあっても、本来はみんな「虫の目」で生活しているのだから。

なお、「地域雑誌谷根千」は2009年8月20日をもって廃刊している。そのこともあって、遅ればせながらどうしてもこの本のことを書いておきたかった。なおサイト「谷根千ねっと」は、コチラ