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自治体職員の読書ノート

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【720冊目】木下清一郎『心は遺伝子をこえるか』

心は遺伝子をこえるか

心は遺伝子をこえるか

著者は生物学者であり、発生学や細胞生物学が専門である。その著者が、生物学から議論を説き起こしつつ「心」という問題に真正面から取り組んだところに、本書の面白みとすごみがある。

本書のテーマは冒頭で明らかにされている。いわゆる利己的遺伝子論から導かれる「生命機械論」、すなわち生命は遺伝子を運ぶ「乗り物」にすぎず、著者の言い方を借りれば「遺伝子という黒幕の言いなりになる一種の隷属物にすぎない」という見方に対して、「心」によってそれを超える可能性を探ることである。もっとも、生物学者でもある著者は安易な心身二元論には立たない。あくまで心を「遺伝子の指示通りつくられたもの」と認めつつ、その心が生命活動を目的づけている遺伝子の役割を超えられるかどうか、と考えるのである。

この厄介な問題を片付けるために、著者はまず遺伝子について詳細に解説し、そこから生命が生まれたからくりを明らかにしていく。生命の誕生以前に地球上に存在していた物質のなかにあった核酸の一種、RNA(リボ核酸)が自己増殖できるようになったことから、そのストーリーははじまる。

しかし、なぜRNAが自己増殖できるようになったのか。著者が挙げているのは、「情報」「エネルギー」「自己触媒」の三位一体。この三要素を同時にあわせもったことで、物質と生命の臨界点が超えられた。「情報」にあたるのは、ヌクレオチドと呼ばれる高分子。これが「鋳型」となって、複製が行われる。高分子を合成するには一定の「エネルギー」も必要である。リン酸の化学結合がこれにあたる。そして、「自己触媒」。他の物質の助けを得ることなく自己複製をおこなうためのメカニズムが、核酸内部にはあったとされている(それほど詳しい説明はなされていない)。

こうして自己複製を始めたRNAは、その後DNAに王座を明け渡すことになるのだが(DNAのほうが分子構造が「丈夫」であること、二本鎖構造がとられたことなどが原因とされている)、その後しばらくして、次なるイノベーションが起こる。細胞の誕生である。一定の領域を「囲い込んで」自己複製のための環境を確保しようとしたのである。もっとも、ひとつの細胞だけでは、遺伝子にわずかな欠陥があるとそれが累積的に増殖してしまうというリスクがある。そのため、複数の細胞が合体して遺伝子を混ぜ合わせることでリスクを分散し(これが「受精」の原点)、合体だけでは細胞がどんどん肥大化してしまうので、中に入っている遺伝子ごと分離したり(細胞分裂である)するという働きが生まれた。これによって、中身の遺伝子も、一緒になって接合したり分離したりを繰り返すようになったのである。

こうして誕生した「細胞」が単体で存在しているのが単細胞生物複数の細胞が集約・統合されたのが多細胞生物である。面白いのは、ここで新たに登場した「生命」にも、「情報」「エネルギー」「自己触媒」の三位一体がはたらいているとされている点。ちなみに、ここで「情報」は、遺伝子そのもの、あるいは細胞どうしのコミュニケーションとして流れているとされる(流れている対象は、やはり遺伝情報が中心となるのであろう)。「エネルギー」はタンパク質が代謝系を組むことにより生産される。「自己触媒」は雌雄性、いわゆるオスメスである(オスメスの分離は、もともと生物が単体で有していた自己触媒的な機能をわかちもったものである、と言い換えることもできるだろう)。

さて、こうした生命(ここでは動物)が「心」をもつまでの進化の過程が、本書の中盤ではずっとつづられていく。前口動物(環形動物、節足動物、軟体動物など)にはじまり、後口動物(触手動物、半索動物、原索動物から脊椎動物にいたるまで)へと対象が移っていくのだが、実はこの中で、ひとつの大きな断絶がある。それは、脳の発生である。前口動物も後口動物も、いずれも進化の途中で「脳」をもつようになるのであるが、脳のはじまりについては、少なくとも本書の時点ではわかっていないのである。しかし、この「脳」こそが次のステップである「心」の発生につながってくるのであり、ここがわかっていないのは、非常に残念である(ちなみに著者の近著に2002年刊行の「心の起源」という本があり、そちらでは何かわかっているのかもしれない)。

いずれにせよ、脳が発生して進化し、さまざまな機能が付加されていく中で、「心」が生まれたと著者はみていく。キーポイントになるのが「記憶」の出現である。実は、ここでまた、先ほどの「情報」「エネルギー」「自己触媒」の三位一体が登場する。「情報」は記憶の対象そのものであり、「エネルギー」は記憶を支える神経細胞の活動。そして、新しい情報が入ってきたときにこれをすでにある記憶と照合し、その結果をふたたび記憶として収納する一連の作用が「自己触媒」ということになる。すなわち、記憶のはたらきというのはそれ自体が独立した自己複製系であり、これが「論理」と「感情」という心の二大要素につらなっていくというのである。

さて、ここまでをみると、「情報−エネルギー−自己触媒」の三位一体からなる「自己複製・自己増殖システム」が、ある存在を次の次元の存在へとみちびくカギとなっていることに気づかれるのではないかと思う。まず、物質の中からこの三要素を兼ね備えた核酸が「遺伝子」となり、遺伝子のうち、やはりこの三要素を兼ね備えた「細胞」が生命へと至る。そして、生命の中でもさらに「心」は、三要素をあわせもった記憶から生まれてくる。

この3つはそれぞれ「別次元」のものである、ということなのだ。そして、それが冒頭の問い―遺伝子によってつくられた「心」が、にもかかわらず遺伝子を超えることができるか―に対する答えでもある。ただ、本書が面白いのは、こうした結論に至るためのプロセスが、徹頭徹尾生物学的なアプローチで成り立っていること。にもかかわらず、その結論が、生物学、あるいは自然科学の枠組みをある意味超えて、本書の末尾でも書かれているように、哲学的な次元にまでつながっている。そのあたりが、本書のもつ深みと広がりであるような気がする。