自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【288冊目】司馬遼太郎「空海の風景」

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

日本史の勉強をサボっていたせいか、空海についてはほとんど何も知らないまま本書を手に取った。知識にあったのは、せいぜい、最澄と同時期に唐にわたり、日本で真言宗をひらいたという程度である。少なくとも、空海がこれほど並外れたスケールの天才であったことは、本書を読んで初めて知った。

何しろ唐にわたってほんのわずかな間に、真言密教そのものの継承者として認められ、数千の先輩僧を追い越して密教そのものを引き継いでしまうのである。しかも帰国後は、現代に至るまで仏教宗派の巨大な一派である真言宗を開き、その礎をほとんど独力でつくりあげてしまう。思想的に卓越した存在ながら政治的なセンスもあり、すぐれた演出家、わずか一筆の文章で人を動かしてしまう希代の文章家であり、さらに書家としても並ぶもののない存在であった。

前半で特に好きなのが、海上でさんざん迷った末に、予定とは全然違う唐の南部に漂着した時のエピソードである。ほかの船と離れ離れになってしまい、遣唐使であるとも分からないみすぼらしい姿で現れた日本人の一団を、漂着した地域の官吏は泥地の上に何日も放置し、日本側が何度善処を求めても聞き入れない。ところが、空海が請われて一筆の書状を送っただけで待遇は一変し、彼らのために住居が作られ、首都長安にも使いが送られるのである。空海の圧倒的な文章力がここではじめて披露される。

また、後半部分の軸となっているのが、いわば空海のライバル的存在であった最澄とのやりとりである。最澄は、性格もその人生も空海とは対照的な存在であったらしく、生真面目で謙虚な最澄と、破天荒で倣岸な空海のやり取りが、実際に交わされた書簡をもとに克明に語られ、空海の異様で周囲と相容れなかったキャラクターがはっきり浮き出している。

司馬遼太郎は、この空海をきわめて慎重に描いている。わざわざ「これは小説である」と本書の中で断りを入れているほど、本書では自由な想像を極力おさえ、特に空海の行動や会話については、ちょっとしたことさえ「・・・・・・かもしれない」「・・・・・・と思われる」と、確かな根拠がない限りは断定を避け、史実から決して足を離そうとしない。そのため、小説として本書を読むとややもどかしさを感じなくもないが、しかし逆に言えば、そこまでしている以上、本書で描かれた空海は現実の空海そのものであると推測されるのであって、空海という歴史上の人物のスケールを精確に描き出そうとすれば、このような書き方しかなかったのかもしれない。