自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【594冊目】阿刀田高「旧約聖書を知っていますか」【595冊目】旧約聖書(創世記、出エジプト記、イザヤ書、伝道の書)【596冊目】ヨブ記

旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)

旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)

旧約聖書 (中公クラシックス)

旧約聖書 (中公クラシックス)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

テレビで映画「十戒」を観て、旧約聖書を読んでみようと思い立ったのはよいが、調べてみると内容がずいぶん膨大である。創世記や出エジプト記のような「有名どころ」以外にも、「律法」(モーセ五書)だけでも「レビ記」「民数記」「申命記」とあり、さらに「歴史書」「文学書」「予言書」それぞれに膨大な量のテクストが存在するという。

さすがに全部を読む気力はなかったが、それでも全体を概観してみたいということで、頼ったのが阿刀田高氏の「旧約聖書を知っていますか」。これは旧約聖書への導入としてはぴったりの一冊であった。アブラハムの事績にはじまり、ヤコブ、モーセヨシュア、サムソン、ダビデ、ソロモンの物語(というより歴史)を軽妙な筆致で描き出した後、「歴史以前の時代」である創世記に戻り、ヨナ、ヨブ、預言者(イザヤ、ダニエル)と続く。

旧約聖書の世界を完全に網羅しているわけではないが、それでも思ったより広く旧約聖書の世界を案内する内容となっており、何より読んでいて面白い。信者の方であれば不謹慎だとお怒りになるかもしれないが、少なくとも私のような非信者の門外漢としては、旧約聖書のボリュームを見て抱いていたとっつきづらさがかなり解消できたと思う。

そこで気を取り直して旧約聖書「本体」に進んだのだが、選んだのは比較的コンパクトで読みやすそうだった中公クラシックス版。「創世記」「出エジプト記」のほか、「預言書」からイザヤ書、「文学書」から伝道の書をおさめる。

読んでいて驚かされるのは、「神」のもつ力のすさまじさに加えて、おのれに絶対的な帰依と忠誠を誓わぬ者への徹底した無慈悲な仕打ちである。有名なソドムやゴモラの破壊、あるいはノアの方舟に見られる大洪水などは、まだしも人々の堕落と退廃という「悪」への応報としてみることができる。

しかし、たとえばイスラエル人の解放を認めさせるためにエジプトで行った「業」はどうか。ナイルの水を血に変え、全土を蛙や蚤、虻で覆い、疫病をもたらし、雹を降らせ、蝗を襲来させ、三日間にわたり暗闇に包ませ、最後にはエジプト中の初子を死に至らしめる。しかも、聖書の記述では、その間エジプトの王パロが心を頑なにし、イスラエル人の解放を拒ませたのも、神自身がパロを「強情にさせ」、「彼らの間にわが徴を示すため」なのである。いわば神は、神の力を示して人々を畏怖させるために、エジプト全土にわたる暴虐と虐殺を行ったのだ。

この神は確かに、日本の「八百万の神」とも、ギリシア神話の神々などとも、相当に異質である。また、キリスト以降のいわゆる新約聖書の時代とも違う。この神は唯一無二、絶対の存在であり、にもかかわらず恐ろしく狭量で無慈悲な存在なのである。

また、この神は一方で、神への絶対的な忠誠さえあれば、他人(特に異教徒)への暴虐を肯定し、むしろ促進する神である(エジプトへの仕打ちはそのことを何より象徴している)。極端な飛躍かもしれないが、これを読むと、現代のイスラエルパレスチナに対してなぜあれほど苛烈にふるまえるのか、その理由の一端がここにあるようにすら思えてくる。

ヨブ記」には、こうした神の善悪を超越した絶対性がきわめてシンボリックな形であらわれている。信心あつく行い正しき人ヨブが、神と「神の敵対者」(悪魔?)の発案で、突然に息子たちを奪われ、自らも業病に苦しむことになる。何の咎もなく悲惨な目に会うヨブは、最初はそれでも神への信仰をあきらかにするが、ついに神に向かって抗議し、呪いの声をあげる。

その後、ヨブは仲間との問答を繰り返し、最後には神みずからの声が嵐の中から聞こえてくる。この「神と人との問答」の迫力は圧巻である。そこで神が提示するのは、世界のすべてを創造した神に対して、被造物たる人間が申立てをなすこと自体の不可能性である。

そしてヨブは、人が神に向かって問いをなすことの愚を悟り、悔い改める。神に問いかけるうちに、ヨブは知らないうちに神と対等のステージでものを考え、神を論難していた。そこを一瞬で引き戻し、神と人の位置関係の圧倒的な格差を思い知らせたのが、本書のラストであったように思う。

私自身はユダヤ教にもキリスト教にも信仰をもつ者ではないし、旧約聖書をめぐる学術的な議論にもまったく詳しくない(それどころか聖書の全体すら通読できていない)。そのため、上に書いたような読み方はまったくの素人読みでしかないと思う。しかし、それでもユダヤ教キリスト教イスラム教を支配する「一神教の桎梏」といったものは何となくイメージできたように思うし、「父なる神」とか「一神教の父性原理」といった考え方へのイメージも、ある程度明確に持てたように思う。機会があれば、残りの部分も読んでみたいものである。