【2838冊目】アニー・ディラード『本を書く』
ライティングメソッドの本では、ありません。
文章作法の本とも、違います。
これは、もっと根源的な、「書く生活」あるいは「書く人生」の要諦を綴った本なのです。
久しく絶版でしたが、このたび、文庫サイズで復刊しました。
このサイズ、このページ数で1,540円は高いと思うかもしれませんが、そんなことはない。
本書は、「書く人」であれば、10倍の値段がついていたとしても、必ずや購入し、座右に置くべき本であります。
そのことは、本書を読めばすぐわかります。
自分の書いた文章の核となる部分が、その文章全体を弱めていると気づいた時は、どうするか。
本を書いていて行き詰まったと感じた時、それは何が原因で、どう対処すべきか。
何を書けばよいかわからなくなったときは、どこに題材を探し求めればよいか。
その答えは、すべてこの本に書いてあります。
でも、それだけじゃない。
本を読み、本を書くばかりの人生に、果たしてどのような意味があるのか。
そのことを、本書は著者の経験や、著者の暮らす自然豊かな環境の美しい描写とともに、生き生きとあなたに伝えてくれるのです。
中には
「ピストル自殺でもしたらどう? 実際、またもう一ついい加減な文章を世に送り出すくらいなら」(p.50)
とか、
「作家としての自由は、好き勝手なことをしゃべるという意味での表現の自由を意味しない。むしろ勝手なことを言ってはいけないのだ」(p.49)
さらには
「私の推量では、フルタイムの作家はだいたい平均五年に一作、本を書く。一年に七十三の使用可能なページ、すなわち一日一ページの五分の一、使用可能な文章を書く」(p.54)
などの言葉を読んで、厳しすぎると感じることもあるかもしれませんが、
それでも、本書は書くことが意義あることであり、人生を賭けるに足ることであると、力強く伝えてくれます。
「うまく行くとき、本を書くことは、天の賜物としか言いようがない。それはあなたに贈られる。ただし、あなたが求めれば、である。あなたは探し、胸をつぶし、背骨を折り、脳を破る。そこに至って初めて、それはあなたに贈られるのだ」(p.123)
では、最後に本書から得た私の座右の銘を。書くことだけではなく、思考と行動のすべてにおける、私の指針となった一文です。
「手を抜くな。すべてを厳密に容赦なく調べ上げるのだ。一つの芸術作品における細部を厳しく調べ、探すのだ。離れてはいけない。飛び越えてもいけない。わかったようなふりをしてはいけない。徹底して追及し、ついにそのもののもつ独自性と強さの神秘性のなかにその正体を見るまで追い詰めるのだ」(p.128)
いつかは、こんな書き手になりたいものだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【2837冊目】町田康『供花』
先日読んだ『くっすん大黒』より先に出た、町田康の第一詩集です。
詩集、と言われて、どんな内容を連想するでしょうか。
どんなことであっても、この詩集を読めば、その想像は裏切られます。
たとえば・・・・・・
「大仏が建立され 陛下が地球の長さを測る」(「きりきり舞い」より)
「夢も希望も無い者どうしで商店街へゴー
最後の金を握りしめて爆笑しながらゴー」(「下りみち」より)
「安全太郎 便所のとびらをつかんで
犬の死体を裏返す」(「夢で流血」より)
「フィストファックを試みて
御名があがめられる
小児のからだを舐めまわし
御名があがめられる
妹が包丁で切腹して
御名があがめられる」(「俺は祈った」より)
まあ、大体の様子はおわかりのことと思いますが、つまり、かなりヤバい詩集なのです。
ここにあるのは、意味もなく、文脈もなく、救いのない、圧倒的な言葉の砲列なのです。
小説のほうが、ここに書かれているような乱舞する言葉のエネルギーを、つかんで、馴致して、つなげて、どうにかコントロールしているわけで、
ここにあるのは、まさに町田康のエッセンス、あるいは薄める前の「原液」。
そのぶん、毒性もかなり強めです。
服用にあたっては、くれぐれもご注意ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【2836冊目】小紫雅史『10年で激変する!「公務員の未来」予想図』
この手の本を読むのは本当に久しぶりでした。この「読書ノート」を始めた頃に集中的に読んでいたのですが、あまりにも内容が薄く、また似たような本が多く、少々ヘキエキして遠ざかっていたので。でも、久々に手にとってみると、それなりに新鮮で楽しめました。
さて、本書は「10年後の自治体の姿を予想する」という触れ込みですが、内容はAIから少子高齢化、地方創生など盛りだくさんです。その中で全体を貫くコンセプトは、おそらく「自治体3.0」ではないかと思います。
著者によれば、「自治体1.0」が旧来の自治体の姿だとすれば、そこから脱却して「市民はお客様」と考え、民間の手法や行財政改革に取り組むのが「自治体2.0」。これに対して市民を巻き込み、一緒にまちづくりに取り組むのが「自治体3.0」ということのようです。したがって、そのためには職員は地域に出て、ネットワークを作り、また公務員人材の流動性を高めるべき、ということになります。
もっとも、このあたりの議論は、いわゆる「協働」という言葉が出てきた頃からずっと続いているもので、必ずしも著者が言うように「1.0→2.0→3.0」と進むものではないように思います。むしろ、住民は自治体の顧客なのか、それとも担い手なのかという問いは、「地方自治体とは何なのか」「そもそも政府とは何なのか」という根本問題に関わるものであって、簡単に答えが出るようなものではないと考えます。少なくとも、現在のような福祉国家の成立に至る歴史や、共同体における「結」や「講」などの互助的な仕組みから考察する必要があると思うのですが、そのあたりの理論的な整理は、本書ではほとんどなされていません。
とはいえ、生駒市の実践をベースにした著者の主張はおおむねうなずけるものです。理論的なバックボーンはともかく、現実問題として、地域との協働、共創がこれからの自治体運営には欠かせないのは、現場の職員としての実感から申し上げても、間違いないと思われます。
著者のことは本書で初めて知りましたが、大胆な改革に取り組む一方、たとえば図書館については直営を貫いていることからも、しっかりとした理念とバランス感覚をお持ちであることが伝わってきます。「まちかどバル」や「プラレールひろば」など、政策もおもしろいものが多いですね。「ふるさと納税」の返礼品競争に苦言を呈しているのも素晴らしく、かなりの「見識」の持ち主であるとお見受けします。本書ではAIの部分や国際化のくだりなど、お仕着せめいた「どこかで聞いたような話」が多かったのが少々残念でしたが、次はぜひ著者自身の言葉で自治体論や職員論をたっぷり読んでみたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【2835冊目】町田康『くっすん大黒』
町田康のデビュー作ですが、いきなり物凄い。いったいどうして、どこからこういう小説が出てくるんでしょうか。
家に転がっていた金属製の大黒が不愉快なので捨てに行く。言ってみればそれだけの話なのに、それが思いもかけない方向にどんどん転がっていきます。警察に職務質問され、友人宅に転がり込み、古着屋で働くことになり、そこのおばさんがとんでもない奴で・・・・・・と、物語は脱線につぐ脱線で、しかも大黒はついに捨てられない。
これってカフカ的? 筒井康隆的? いやいや、やはりこれは町田康なんです。最初の作品の最初の一文から、もういきなり町田康以外の何者でもない。最初から町田康は町田康だったのですね。
併録されている「河原のアパラ」も傑作。登場人物の掛け合い漫才みたいなやり取りが面白すぎて、電車の中で吹きました。御用心ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【2834冊目】山岸涼子『鬼』
「怖い」というより「哀しい」一冊でした。
特に最初の「鬼」という作品ですね。飢饉にあえぐ江戸時代の東北で、口減らしのため穴に捨てられた子供たちと、その場所を訪れた現代の大学生たち。
穴に捨てられた子供たちは、飢えのあまり、先に死んだ子を食べてしまいます。そうして生き残った子も、自分たちを捨てた大人たちへの恨みと、自分が食べてしまった子らへの罪悪感で引き裂かれてしまう。人肉食を描いた作品の中でも、飛び抜けて悲痛な物語ではないでしょうか。
一方の現代の大学生たちもまた、見えづらいながらさまざまな事情を抱えています。そんな彼らが、なんと地蔵菩薩に手紙を書くという手段によって、子供たちの魂に救済を与えるというのが面白い。そして、彼ら自身もそれによって救われるのですね。ここにあるのは、究極の「赦し」と「救い」の物語でもあるのです。
「人を許すことが、自分も許されることなんだ」
この言葉が、読み終わった後も心に響きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!