【2225冊目】白川静『文字講話2』
第六話「原始の宗教」
「われわれの知性として、もし考えられる宗教があれば、禅宗のようなもの以外にはない。禅宗においては、師にあえば師を殺す、仏にあえば仏を殺すという、何物の権威をも認めないところに、自分の生きる道を見出そうとする。それはあるいは究極の宗教ではないか」(p.53)
第七話「祭祀について」
「本来は「まつり」はどういうものであったかといいますと、これは神に対してまつるのでありますから、神をまつる場合には、たとえば祝詞を奏上する。それからお供えものを捧げる。それからいろんな行事を行うことによって、神に仕えるわけです。文字の上で一番はじめにそういうまつりを意味することばであったのは、歴史の史という字。われわれは歴史の史という字に使っておりますが、史は本来「まつり」を意味することばであった」(p.61)
第八話「国家と社会」
「「見る」というのは、なかなか容易ならぬ見方なのであって、単に眺めるというのではなしに、わが国の古い時代の、国見という場合の「見」ですね。見ることで、それを支配するわけです」(p.129)
第九章「原始法について」
「もし悪事をやった場合は、これは本人がやったのではない。本人に仮に宿ったところの悪い霊がやったのである。したがって、その悪い科(とが)とか、妖かしなどによる、そういうふうなものを祓い清めることができれば、それでもとの清らかな、すがすがしい状態が回復できる」(p.166)
第十話「戦争について」
「戦争のための破壊兵器は、今その極限に達している。一瞬にして一千万の大都市も廃墟となり、同時に暴発すれば地上は荒地と化するであろう。内戦や紛争は絶えることなく、世界の三大国がその兵器供給の元凶である。〔老子〕第六十九章に「抗兵相加ふるときは、哀しむ者勝つ」という。戦争の悲哀を知るものが、最後の勝利者であるとするのである」(p.211)
古代から現代まで、観念の発生と変遷を追うことは難しいが、そのためのカギとなるのが「漢字」である。漢字の読み解きを通して、これほどの発見と思索を得ることができるのか。白川東洋学の精華、二巻目。