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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1940冊目】『日本文学100年の名作第5巻 百万円煎餅』

 

 

順不同で徐々に読み進めている、新潮社のこのシリーズも3冊目。1954年から1963年の10年間に書かれた小説が集められている。

日本が少しずつ、戦争の記憶を振りすてるようにして高度成長に向かい、東京オリンピックを迎えるに至るまでの10年間。「三丁目の夕日」の昭和30年代であるが、その時代のさ中に書かれた16篇は、後世のわれわれの抱く無責任なノスタルジアとはまったく違う、内側から見た時代の実感を映し出している。それは、一方では梅崎春生の「突堤にて」が描く戦時中のなまなましい記憶であり、もう一方では星新一の「おーい でてこーい」が早くも描く成長一辺倒の文明への警鐘である。

ちなみに、本書で一番びっくりしたのがこの梅崎春生だった。防波堤に無言のまま並ぶ釣り人たちを描いた、掌編といってもよさそうな一見なんということもない作品なのだが、そのさりげない観察と描写の中にタダゴトでない気配が満ちている。その空気感が尋常じゃないのである。

以前読んだことのある作品もいくつかあったが、その中では井上靖「補陀落渡海記」にあらためて感銘を受けた。編者の池内氏の「「世間」という実体のさだかでない暴力が聖者を生み出していく」という解説に深くうなずきつつ、連想したのは戦時中の特攻兵のことだった。

表題作の三島由紀夫「百万円煎餅」も、ユーモラスだがどこか陰のあるおもしろい一篇だ。ちょっとした余技のような作品だが、それがここまでの完成度になってしまうところが三島の天才なのだろう。なお解説によると、この作品は直後に書かれた「憂国」とすべてが瓜二つなのだそうだ。なんだかちょっと不思議な感じ。