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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1584冊目】谷崎潤一郎『夢の浮橋』

夢の浮橋 (中公文庫)

夢の浮橋 (中公文庫)

谷崎晩年の作「夢の浮橋」と、やはり晩年のエッセイ「親不孝の思い出」「高血壓症の思い出」「四月の日記」「文壇昔ばなし」を収めた一冊。

夢の浮橋」は、日本語が素晴らしく読みやすいのでサラッと読めてしまうのだが、後から考えてみれば、けっこう異様な小説だ。主人公の糺(ただす)は、大好きだった生母を早くに失い、やがて父が再婚することになるのだが、その相手(つまり糺の継母)について、父はこう言い聞かすのだ。

「あの人が来たら、お前は二度目のお母さんが来たと思たらいかん。お前を生んだお母さんが今も生きてて、暫くどこぞへ行てたんが帰ってきやはったと思たらええ」

この「設定」だけでも相当にアブノーマルだが、実際、継母は生母と同じ名前で呼ばれ、同じように扱われる。びっくりしたのは、糺が寝ようとしているところに継母が入ってきて、生母にしてもらっていたように乳を吸わせてやると言い出すシーン。それは10歳くらいの時のことだが、その後13,4歳になっても、時々は母の出ない乳を吸い、子守唄を聞かせてもらって眠るのである。

アヤシイ関係はまだまだ続く。継母は糺が20歳の時に妊娠、男の子を生むのだが、なぜかその子はすぐに別の家に引き取られてしまう。さらにさらに、乳の張って困る継母が乳を搾っているのを正面から見てしまった糺に対して、継母はコップに貯めた乳を飲ませ、しかも自分の乳を直接吸わせるのだ。20歳の、血の繋がっていない息子に対して。まったく、どういう企画モノですか、これは。

谷崎潤一郎といえば、私にとっては「刺青」「春琴抄」「痴人の愛」のようなエロティックな作品のイメージが強い。本作はああいうエロスとはだいぶ趣が違うが、それだけにむしろ、男女のエロスを突き詰めた果てに母への恋情に辿りついてしまったような強烈な印象があった。

その後に父が病死し、糺と継母の間柄について、世間では道ならぬ関係にあったと噂が立つくだりがある。まあそりゃそうだろうとも思うが、では二人の間にあったのが恋愛感情だったかというと、ちょっと違う。ある意味、二人の関係は男女のそれよりも、もっと本源的な意味でエロティックなんじゃないかと思うのだ。

後半のエッセイの中では「高血壓症の思い出」が面白かった。『細雪』や源氏物語の「谷崎訳」を書いていた頃の谷崎自身の日々を記したものなのだが、一方で高い血圧に悩まされ(ひどい時は上が220くらいというのだから、こりゃ高すぎる)、身体のあちこちに出てくる不調に苦しむ自分自身を、突き放したような調子で書いている。

どうということもない日常の記録を、こだわりもてらいもなく淡々と綴っているのだが、それでいてなかなか読むのがやめられない。名人芸、であろう。

中でふっと切ない気分にさせられたのが、次のくだり。人生の酸いも甘いも噛み分け、功なり名遂げた著者にして、こういう時はこのような心境になるのだなあ、と考えさせられた。

「森閑とした部屋の中で、来し方のこと、行く末のこと、妻のこと、三十五年前に亡くなった母のことなどを考えると、ひとりでに涙が浮かんで来て、どうにもしようのないことがあった。青年時代の「死の恐怖」は、多分に空想的、文学的のものであったが、七十歳に近い今日では、「死」は恐怖よりもひたすらに悲哀をもたらすのみであった。自分が死のことを考えて泣いたのはその時が始めてであったが、こう云う風に涙が湧いて止めどがないのは、死期がそう遠くない證拠のように思えた。妻にこの涙を知られてはならないと思うと、又しても涙が出た」

結局、ある治療法が功を奏して血圧が好転、体調も回復した谷崎は、酒を飲んで旨いモノを食う日常の生活にあっさり戻ってしまうのだが、まあ、人間の生き方ってそんなものかもしれない。大谷崎もそういうところはフツーの人間だったんだなあ、とちょっと安心。

他のエッセイでは、明治の文学者に興味のある向きは「文壇昔ばなし」が面白いかもしれない。尾崎紅葉をけなした徳田秋声泉鏡花がぶん殴ったとか、早食いの谷崎が鏡花と鍋をつつくと谷崎が生煮えのものからどんどん食べてしまって鏡花が全然食べられなかったとか、ロクでもないことがロクでもないままにずらずら書かれている。まあ、要するに文壇ゴシップだが、明治の文豪の意外な素顔を覗きたい方は、どうぞ。