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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1411冊目】三浦しをん『あやつられ文楽鑑賞』

歴史・文化・民俗

あやつられ文楽鑑賞 (双葉文庫)

あやつられ文楽鑑賞 (双葉文庫)

こないだ文楽をテーマにした小説『仏果を得ず』を読んだが、いわば本書はそのエッセイ版。演目の解説から楽屋突撃インタビューまで、著者の良い意味での「素人らしさ」が活きた一冊と感じた。

全体を通してビシビシ伝わってくるのが、「文楽が好き!」という著者のエネルギーだ。だから素人とはいっても熱意は相当なもので、そのパワーに引きずられて、こっちもいつのまにか文楽びいきになってしまっている。

ミーハーといえばミーハーなんだが、でもミーハーのエネルギーって、その世界の魅力を伝えるためには大事だと思うのだ。本書では、著者は作家としての立場をかなぐり捨ててミーハーに徹しており、その割り切ったスタンスは読んでいて気持ち良い。

楽屋突撃ネタで印象に残ったのは、出番の人が楽屋に残る人に向かって「お願いします」と頭を下げてから舞台に向かうというくだり。出番の人に向かって「お願いします」ではないのである。驚いたのはそこに込められていた意味だ。これはなんと「舞台で自分の身になにかあったときには、あとをよろしくお願いします」ということなのだという。

プロである。そして、これが「伝統」の凄みということなんだろうな、と感じる。そういえば小説のほうでも、この「しきたり」はしっかり取り入れられていた。著者もまた、やはりプロの作家なのであった。

そして、本書のだいたい半分くらいは、実際に客席から舞台を眺める視線で文楽を語るもの。ここでは「仮名手本忠臣蔵」や「女殺油地獄」などの代表的な演目の筋書きがダイジェストされていて、ビギナーにはたいへんありがたい。特に「忠臣蔵」のほうは、コミカルにツッコミを入れながら実に分かりやすく全体の構図を整理してくれており、初めてその全容がイメージできた。

そして、私にとって文楽最大の謎だったのが、「なぜ人間じゃなく人形なのか」という点。だって、他の伝統芸能を見れば、能楽は人間が面を着けて舞っているし、その後の歌舞伎だって人間が演じている。海外に目を転じても、文楽ほど徹底して「人形劇」を芸術の域にまで高めたジャンルはちょっと見当たらない。なぜこんなことができたのかが、前からずっと不思議でしょうがなかった。

この点について、著者はこんなふうに言っている。「生身の肉体を持たぬ「人形」というワン・クッションを通すと、人間の演技では表現できないなにかが、純粋に形になる瞬間がある」(p.187)

さらに著者はこう続ける。「人形は器だ。器である人形には、後付けの「動機」なんかないのである。大夫、三味線、人形さんに、言葉と音楽と動きを与えられ、その一瞬一瞬を生きるだけだ。人間だったら、前後の感情のつながりを考えながら演じなければならないが、人形は「時間の呪縛」から自由だ。感情や言葉から解放されている人形は、余分なものを削ぎ落とし、「殺人の瞬間」すらもただ生きる」

つまり、人形は決して人間の代替ではないのである。むしろ生身の人間の限界を超えるために、誰かが「人形」というウルトラCを考え付いた、もしくは発見したのだ。とすれば、人形浄瑠璃から歌舞伎への変化は、ひょっとして「退化」だったのでは……なんていうと歌舞伎ファンの方々に怒られそうだが、文楽のすさまじいばかりの奥の深さをここまで見せつけられると、そんなことも言ってみたくなるのである。

仏果を得ず (双葉文庫)