自治体職員の読書ノート

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【1070冊目】丁宗鐵『茶の湯とキムチ』

茶の湯とキムチ (The New Fifties)

茶の湯とキムチ (The New Fifties)

本書のタイトルを見て、思い出した本がある。金両基という人の『キムチとお新香』というものがある。これはキムチに韓国の、お新香に日本の特徴を込めたタイトルで、内容もなかなか見事な日韓文化比較論だった。

本書も同じように、茶の湯が日本、キムチが韓国の代表選手となっているのかな、それにしても、お新香とキムチなら同じ漬物で比べるのはわかるけど、茶の湯とは……と思っていたら、これが全然違っていて、良い意味でびっくり。なんとこの両者、それぞれに日本と朝鮮の文化を「クロス」したところに生まれ、それぞれの国の文化の代表選手となったという共通点をもっているというのだ。

キムチについて言えば、実は元々のキムチは今ほどトウガラシを入れていなかった。そして、諸説あるなかでもっとも有力な説によれば、キムチのみならず韓国料理のほとんどで使われるトウガラシを朝鮮半島に伝えたのは、何と日本。16世紀、ポルトガルからの南蛮船経由でトウガラシが日本に伝来したものの、あまりの辛さに食用には使われず、凍傷の予防薬や目潰し用の武器として用いられたのがはじまりだというから面白い。そして、それが秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島にもたらされ、食材としての可能性が開花したのだそうだ。

茶の湯についてはどうか。こちらはトウガラシほど経路がはっきりしているわけではないらしいが、茶そのものは日本には平安時代朝鮮半島にも七世紀、それぞれ中国から伝来した。その後、朝鮮では高麗時代に「茶礼」という独自の儀礼様式が禅僧の間で発達。ところがその後、李氏朝鮮が仏教を弾圧したため、多くの仏僧が朝鮮から日本に逃れ、茶礼を含むいろいろな文化を持ち込んだ。特にそうした移入が多く見られたのが、当時の国際交易都市であった堺。そして、「茶の湯」を大成した千利休は堺の町人出身であり、進取の気性に富む利休によって、異文化であった茶礼が「茶の湯」として取りこまれたのではないか。これが本書での仮説である。

もっとも、キムチ(トウガラシ)にせよ茶の湯にせよ、これが間違いのない「事実」であるかどうかは、ややあやふやな部分もある。しかし、本書が主張するのはそういうことではなく、日本と朝鮮は古代から現代に至るまで相互に密接に交流し、文化的な影響をお互いに受けてきているのだ、ということなのだ。

本書はそのことを、建国神話の類似性を皮切りに、さまざまな実例をひきつつ、古代から現代までの歴史の流れに沿って繰り返し説き起こす。特に面白いと思ったのは、鉄の話。そもそも製鉄技術は、古代朝鮮の新羅の人々が日本に伝えたとされている。しかし、本家の朝鮮では製鉄に欠かせない燃料の木材が不足したことから製鉄所が次々と閉鎖、製鉄技術はむしろ日本で独自の発展を遂げた。

話はこれだけでは終わらない。歴史は一気に現代にまで進んで1973年、当時の朴正煕大統領は国営の「浦項製鉄所」を建設。その手本となったのはなんと、日本は九州の八幡製鉄所であったのだ。日本は建設にあたって資金と技術の供与を行い、「日本が韓国に鉄作りを教える立場になった」。これによって浦項は東洋最大の「製鉄の町」として栄え、韓国経済を支える一大産業となっているという。

この手の話をすると、日本からも韓国からも「どっちが先なのか」をめぐる議論がはじまることが多い。しかし、著者は本書の冒頭で「『どちらが先か』で優劣をつけない」ことを、日韓文化論を論ずる際のルールとして示している(ちなみに他のルールは「『どちらが悪い』で判断しない」「『似ていない部分』を楽しむ」)。

むしろ大切なのは、トウガラシや茶の湯や製鉄などにみられるように(本書では他の例もたくさん挙げられている)、「日本文化の裏側に韓国文化があり」「韓国文化の裏側に日本文化がある」という事実を認識すること。案外、そんなところから、稚拙な「嫌韓」「嫌日」を抜け出すことができるのかもしれない。ということで、本書は文化比較にとどまらず、今後の日韓関係がどうあるべきかを説得力豊かに説いた、まさに21世紀の日韓論のスタンダードなのだ。