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自治体職員の読書ノート

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【975冊目】永井荷風/川本三郎編『荷風語録』

荷風語録 (岩波現代文庫)

荷風語録 (岩波現代文庫)

「語録」というと名言集のようなイメージがあるが、本書は荷風の小説や随筆が、短いものなら丸ごと載っており、むしろ「アンソロジー」といったほうがよさそう。明治・大正期、戦前の作品、戦後の作品、断腸亭日記の世界の4部構成となっており、それぞれの冒頭に、川本氏のかなり充実した解説がついている。

セレクションの基準は、荷風の「描写」にある。荷風の小説はもともとディテールが凝っている。町の風景や部屋の造作など、ちょっとしたところを的確に描き、リアリティを立ち上がらせる。中でも、無類の「散歩人」だった荷風は、当時の東京の街並みに関する描写をたっぷり残している。本書はそうした東京の描写を集めた一冊なのだ。

明治から戦後という、文明開化、震災、戦災、そして敗戦と、荷風が綴った東京は、その間ずっと激動の時代をくぐりぬけていた。そのありようを描きつつ、実は荷風の視線は、むしろ過去に向いていた。洋風建築がのさばる山の手より江戸の街並みの残り香が漂う下町を愛した。だから本書に描かれている東京は、時代の最先端を行く街よりも、一昔前の風情を残した場所が多い。明治の頃の深川、戦前の荒川河川敷や玉ノ井、戦後の浅草や立石……。そこには見事なまでに、古き良き「風情」と、それゆえの「哀切」と、それら一切を含めた東京の「おもかげ」に向けた、荷風の一貫した視線がある。

そして本書は、結果として、往時の東京をしのぶ記録としてもすぐれたアンソロジーとなっている。とりわけ震災や空襲で大きく様変わりした場所の「それ以前」の姿が、荷風ならではの細部に富んだ生き生きした筆致で描かれているのは、東京下町の自治体職員としては、当時をイメージする上でありがたい。もちろん東京の街並みなんぞに関心がなくとも、荷風ファンなら外せない逸品が並ぶ一冊であることには変わりはないが。