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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【872冊目】深沢七郎『楢山節考』

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

69歳のおりんは、信州の山間の村で、息子の辰平と暮らしている。息子の嫁は去年、谷底に転げ落ちて死んでしまったが、新たに玉やんという嫁がくることになってひと安心だ。ただ、辰平の息子のけさ吉のところに嫁にきた松やんは妊娠していた。この村では、ひ孫は「ねずみっ子」と呼ばれる。ねずみのようにたくさん子どもを産むという意味だった。ねずみっ子を見ることは、食料のすくないこの村では嘲笑の対象であった。しかし、おりんはちょうど来年で70歳だった。この村では、70歳になると楢山まいりに行くこととされてきた。おりんはすっかり楢山に行く気であった。ただ、辰平がなかなかそのことを切り出さないことが気になっていた。

楢山節考』を読み終えたあと、しばらく胸がふさがれて動けなかった。飢えに苦しむ村の食いぶちを減らすため、自ら望んで楢山に赴くおりんの淡々として静謐な姿は、人間とは思えぬほどの尊い後光がさしていた。本書に収められている『白鳥の死』という短文のなかで、著者は「私の『楢山節考』のおりんはキリストと釈迦の両方入っているつもり」と書いている。それを読んで、ああそうか、と腑に落ちた。おりんの姿に感じた後光は、確かに聖人のものだった。

辰平はおりんを背負って楢山に登る。二人とも口を利かず、おりんが示した岩陰に辰平は老母をおろし、山を下りていく。途中で雪がちらちらと降り始め、辰平は「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」とおりんが言っていたのを思い出す。楢山を降りる者が道を引き返すことは禁忌である。しかし、辰平は「本当に雪が降ったなあ!」と母に語りかけたい一心で、山道を登っていく。ところが、雪にまみれて念仏を唱えるおりんは、辰平に向かって帰れ帰れと手を振るのだ。この雪の中での親子のやり取りだけでも、今回、何度読み返したことか。ああ、思いだすだけでも涙がにじむ。

泣ける小説、というのとは、ちょっと違う。簡単に泣くことすら許してくれない、凛としたきびしさの奥に人間の深淵が覗く。読む前は、この小説は単なる「姥捨て山」の話だと思っていた。確かに、「姥捨て」をせざるを得ない村の貧困もしっかりと描かれ、楢山へ赴くおりんの姿にもリアリティがある。しかし、それ以上にこの話は、おりんと辰平の心情の痛切と底深い諦念の重みを通して、人間の心情の極限を深く深く描いたものであった。本書には他に、小説『月のアペニン山』『東京のプリンスたち』、正宗白鳥の死を悼んだ『白鳥の死』が収められているが、やはり『楢山節考』がダントツだ。深沢七郎に、ほかにどんな作品があるのか、よく知らない。しかし、この『楢山節考』一作だけでも、深沢七郎の名は日本の文学史に燦然と刻まれるべきだと思う。