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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【866・867冊目】角田光代『対岸の彼女』『ドラママチ』

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

ドラママチ (文春文庫)

ドラママチ (文春文庫)

男子のイジメは「一点集中型」だが、女子のイジメは「仲間巡回型」だと聞いたことがある。

元男子としては、女子のグループというのはフシギな存在だった。休み時間もトイレも一緒で、いつもべったりくっついているのに、なぜか突然誰かがつまはじきにされ、無視され、いじめられる。しかもそのターゲットがコロコロ変わる。理屈とか合理ではぜんぜん割り切れない、情緒的でウェットな「何か」でつながっている「仲良しグループ」。男同士のグループも別の意味でヘンなところは多々あるので人のことは言えないが。

しかも「OL」や「ママ友」や「趣味のサークル」等にも、同じようなパターンが出てくるという。誰かがいないとすぐ悪口が始まる、話題に合わせようと必死になって笑顔を振りまく、隠然としたリーダー格がいて、その人の機嫌を損ねないようにする、それでも誰かが「イジメ」や「無視」のターゲットになる。そこそこに器用で社交性があれば何とか乗り切れるだろうが、中にはそうでない人もいる。そうでない人にとっては、こうしたグループの存在は苦痛そのものだろう。『対岸の彼女』に登場する二人の主人公、小夜子と葵は、「そういうグループ」が苦手であるという共通点がある。「現在」の小夜子と、「過去」の葵の日々が交互に登場するなかで、二人はそれぞれに、仲間とつるむ以外の人生を見つけていく。イジメと蔭口につきあってまで、「グループ」に属していたいのはなぜなのか。「ひとりでいる」とはどういうことか……。それは女性だけではなく、私を含む多くの男性にとっても「切実」なコトだ。だから葵が発する次のセリフが、胸の奥まで響いてくるのだ。

「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」

『ドラママチ』のほうは、短編集。すべて20〜40代くらいの女性が主人公で、しかもそれぞれのタイトルが『コドモマチ』『ヤルキマチ』『ワタシマチ』『ツウカマチ』『ゴールマチ』『ドラママチ』『ワカレマチ』『ショウカマチ』と、「待つ女」の話だ。

平凡な生活のなかで、ゆっくりと年老いていく日々。夫の浮気よりも、そのことにショックを感じない自分に絶望する女性。独身のままでよいのだろうかと思いながらも、行動に移せず悶々とする女性。夫の浮気相手の家を訪ねるものの、当の相手の女性が出てくるとへどもどして「駅はどっちでしょうか」なんて聞いてしまう女性……。しかし考えてみれば、男性であれ女性であれ、自分から変化を起こすというのはけっこう大変なことだ。エネルギーもいるし、リスクも伴う。不満や鬱屈が少しくらいあっても、平穏でつまらない日々を選ぶというなら、それはそれでひとつの見識だろう。

本書に登場する女性はそういう「見識」に自分を落ち着かせるところまでは行っていない、しかしじっとしていると否応なくそういう日々しか選べなくなってしまう、というフラストレーションを抱えている。自分の限界や残り時間がそろそろ気になる年齢であり、自分の人生このままでいいのか、と思いつつ、うかうかと20代のようなハイリスクな「賭け」に出るには分別がつきすぎている。本書で、特に30代くらいの登場人物が多いのは、やはりそういう悩みや不安を抱える年齢なのだろう。かくいう私も、女性ではないが30代半ばであり、本書の「待つ女」たちの心情は痛いほどわかる。また、そういう心情を的確にえぐりだす著者の筆力は素晴らしい。特に同じような境遇の女性が読んだら「自分のことが書いてある」と思ってしまっても不思議ではない。角田光代の本が、特に女性にファンが多いのもうなずける。