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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【864冊目】タイモン・スクリーチ『江戸の大普請』

江戸の大普請 徳川都市計画の詩学

江戸の大普請 徳川都市計画の詩学

著者はロンドン大学に籍を置く近世日本研究者。江戸に関する著作は日本でもいくつも出ているが、読んだのは本書がはじめて。

本書も江戸を扱った本で、テーマは「都市計画」。ハードとしての江戸のつくりに焦点を当てている。日本の「出発点」とされた日本橋から、悪場所の吉原まで、江戸を捉える視点がどれもユニーク。中でも風水に基づく江戸都市論は、当時の人々(特に為政者)の発想法が読み取れておもしろい。内容自体は、以前誰かの本(確か荒俣宏の本だったような…)で読んでなんとなく知っていたが、都市論のなかで正面切って取り上げられると、また別の面白みがある。

風水では、気の流れる方向を北東から南西とする。気には悪いものもまざって流れ込んでくるので、それを遮断する必要がある。それが、江戸で言えば上野の寛永寺。また、南西側に置かれたのが芝の増上寺であった。寛永寺の北東側(つまり江戸にとっての外側)には、刑場、被差別部落、遊郭(吉原)などが集中した。また、増上寺の南西側にも、品川の郭、鈴が森の刑場などの「悪しき場所」が集中した。

しかもこの構造は、実は京都の模倣であったという。京都は北東に比叡山延暦寺があり、その向こう側には琵琶湖がある。上野の山の寛永寺はそれになぞらえて作られた。琵琶湖は関東にはないが、そのミニチュアとして存在したのが不忍池。さらに、なんと京の清水寺が焼失した際、徳川家は京より先に、上野寛永寺の境内に清水寺を再建した。また、三十三間堂浅草寺近くに建設され、京に倣って愛宕山までそれと名づけられた(江戸の愛宕山はせいぜい標高90メートル程度の、「山」というより「丘」であるが)。しかし一番驚いたのは、京の大仏に対抗して、江戸にも大仏がつくられたということだった。京の大仏は1586年、秀吉によって方広寺に建てられた(これも奈良や鎌倉に比べればかなり新しいが。なお現在は焼失)。それに対して江戸の大仏は、1631年、上野寛永寺の境内に造られたという。高さ7メートル程度のこの「大仏」は、一般人が立ち入ることができないところにあった上、残念ながら戦時中の金属供出令によって胴体を奪われてしまったらしいため、その姿はほとんど知られていない。なお、現在は上野公園で顔だけを拝むことができるというが(そういえばそんなのを上野で見たことがあるような気もする)、いずれにせよ上野に大仏があったとは知らなかった。びっくりした。

しかもさらにケッサクなのは、このなかなか拝観することのできない大仏に対抗したわけではなかろうが、1793年、「おおぼとけ」と呼ばれる見世物の大仏が籠細工と油紙でつくられたということ。幕府の事業ではなく品川の海晏寺がつくったこの「大仏」、なんと高さは国内最大の40メートル(奈良の大仏は15メートル)、見物客が多すぎて、立っている山全体が真っ黒に見えたというから笑える。もっともこの大仏、寺社奉行のおとがめを受けて、わずか60日で取り壊されてしまったという。

まあそれはともかく、本書はそうした「京の模倣」「風水とのかかわり」など、江戸という都市の背後にある思想や論理をひとつひとつ解き明かしてくれる一冊だ。新興都市ならではの悩みや工夫、その中で世界最大級の都市となるまでに発展した都市のダイナミズムなどを通して、江戸、そして現在の東京の姿が生き生きと見えてくる。