自治体職員の読書ノート

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【838冊目】松本健一『日本の失敗』

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

この頃の歴史を綴った本を読むと、胸をふさがれるような、なんとも言えない気持ちになる。

「この頃」とは、おおむね「対支二十一箇条の要求」から「真珠湾」まで、つまり「遅れてきた帝国主義国家」として歴史に登場する日本が、最悪の敗戦を迎える戦争に踏み切るあたりまでのこと。その、奈落に落ちていくような歴史のプロセスのなかで、果たしてどこまでが「やむを得ない歴史の必然」であり、どこからが「避けることのできたあやまち」なのか。知りたいのは、その一点。しかし、その「一点」をピンポイントで答えてくれる本は、あまりない。

本書が対象としているのは、まさにこの「二十一箇条」から「真珠湾以前」までの日本。しかも、一本道と見える歴史の流れを丁寧にたどりなおし、政治の流れ、人々の意識の流れ、社会状況の流れのそれぞれを追いながら、それが暗黒の昭和へと突っ込んでいくところまでを一気に書く。その中で、政治の流れとして目立つのは、軍部の暴走を抑えようとする勢力が徐々に力を失い、特に政党の側が軍部に道を譲っていくという動向。とりわけ印象的だったのは、当時の野党であった鳩山一郎(今の総理の祖父殿ですね)が、ロンドン軍縮会議をめぐって浜口内閣を攻撃する際に、「天皇の軍部に対する統帥権を政府が犯した」という言い方をしたというエピソード。これは軍部への統帥権を政府から独立したものであると政党政治側が認めたに等しい発言であり、結果的に「昭和史における軍部の独走を、政党そのものが容認する性格のもの」だった。

また、日清・日露戦争では開戦の詔勅国際法の遵守を謳い、実際、日本軍は「国際法の優等生」であったが、大東亜戦争の「開戦の詔勅」には国際法の文字は見られず、実際にも捕虜の処刑や虐待など、国際法無視を決め込んでいたことも気になった。むろん、それ以前の段階で当時の不戦協定であった「ケロッグ・ブリアン協定」を破棄し、国連からも脱退するなど、到底「国際法遵守」を口にできる環境ではなかったのだが、それ以外にもおそらく、日清・日露戦争大東亜戦争で、意識の持ち方が大きく違ったと考えるべきだろう。

日清・日露戦争は、新興国日本が、当時の「帝国主義諸国」のメンバーに加わり、世界の「文明国」として認められるかどうかという戦争であった(ずいぶん野蛮なハナシだが、帝国主義と文明国は当時ほとんど同義語であった)。少なくともそこでは、日本の意識は外に向いていた。しかし大東亜戦争では、日本の(つまり日本軍の)意識は徹底的に「内向き」だった。戦争の明確な目標もなければ勝利の目算もなく、ただ「八紘一宇」の美名のもと「死ぬための戦」に赴くのみ。本書で引用されている橋川文三という戦中派の青年の語を引けば、ナチズムの哲学が「我々は闘わねばならぬ!」であるとすれば、戦時下の日本精神は「我々は死なねばならぬ!」であったという。当時の日本のトップで、国際法に対する知見と意識を持っていたのは、唯一昭和天皇のみであった。

本書は、冒頭に書いたようなことをピンポイントで答えてくれるわけではない。むしろ、そこには無数の亀裂があり、無限のグラデーションがあり、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが分かる。しかし、何が「日本の失敗」だったのかをしっかり総括するためには、その亀裂をしっかりと見据え、絡み合う要因をできるだけ解きほぐし、いたずらに問題を単純化し過ぎることなく、的確に「歴史の教訓」をつかみだしてくるしかないのだと思う。その面倒きわまりない作業は、日本人の一人ひとりがやらなければいけないことなのだ。