自治体職員の読書ノート・福祉版

福祉のこと、本のこと、などなど

【2324冊目】青山文平『つまをめとらば』

 

つまをめとらば (文春文庫)

つまをめとらば (文春文庫)

 

 

「女は、皆、特別だ」

これは本書の最後に収められた短編「つまをめとらば」の、それもラスト近くに登場するセリフ。全体を通して読み、最後にこのセリフに出会うと、なんだか深く納得してしまうものがある。

「ひともうらやむ」「つゆかせぎ」「乳付」「ひと夏」「逢対」「つまをめとらば」の6篇を収めた、著者の直木賞受賞作だ。共通点は、濃淡の差はあるが、女性の存在が取り上げられていること。時代小説で「女性」がフィーチャーされることは、なくはないが、頻度は決して多くない。描かれていても、現代小説に比べるとどうしても男性の陰に隠れたステレオタイプなキャラクターになりがちで(特に男性作家の場合は顕著で、無意識のマッチョイズムを時代小説の方が出しやすいのでは、と勘繰ってしまうほど)、そういう意味で本書はユニークだ。もちろん当時の時代背景を考えればどうしても制約はでてくるだろうが、本書はむしろその制約を逆手に取っている感じさえする。

それはそれとして、著者の作品を読むのは実は初めてだったのだが、なかなかの手ごたえを感じた。描写は流れるようでありながら肝心の部分は丁寧に描かれ、会話も時代小説としてはきわめて自然。練達の士、というべきか。遅咲きの直木賞であったらしいが(現在70歳)、健康に留意いただき、今後も良い作品を生み出してほしい。

 

【2323冊目】『ティク・ナット・ハンの般若心経』

 

ティク・ナット・ハンの般若心経

ティク・ナット・ハンの般若心経

 

 

法華経に興味、と言っておいていきなり般若心経というのもアレだが、これはたまたま以前読んだ時に書いた読書ノートのストックがあったから。でも、般若心経もまた、とても気になる、そしてたいへん大事なお経である。

多くの日本人にとって般若心経というと「葬式で坊さんが唱えているお経」くらいのイメージしかないのではないか。だが、これは本当にスゴイお経なのだ。仏教のエッセンスはほぼすべて、この短いテクストの中に含まれていると言っても過言ではない。

まあ、そうはいっても、いきなり「空」とか「色」とか言われても、なかなかとっつきづらいのは事実。特に「空」を「無」と捉えてしまうと、このお経はチンプンカンプンになってしまう。そこで本書の著者ティク・ナット・ハンは「空」を「無」ではなく「独立した実体ではない」と言い換える。

だから例えば「体とは空である」とは「体は存在しない」ということではなく「体は他のものと独立して存在しない」ということになる。どういうことだろうか。少し長くなるが、ティク・ナット・ハンの言葉を引いてみよう。

「あなた自身の体を深く観ていけば、その中にはあなたの両親と祖父母、すべての祖先、そして地球の生命の歴史がすべて入っているのがわかるでしょう。この体は、ふだんあなたが体とは思っていないような、体以外のすべてのものから作られた複合体です。そこには太陽と月と星、時間と空間も見てとれるでしょう。事実、この体を作り上げるために、宇宙全体がここに集まっているのです」(p.56-57)

 

 

こうしてみていくと、あの「輪廻」「前世」という思想も、従来のものとはまったく違う意味合いを帯びてくる。ティク・ナット・ハンは、これは「科学」であると断言する。

「私が飲む水は、かつて雲でした。私が口にする食べ物は、かつて太陽の光であり、雨であり、大地でした。まさに今この瞬間に、私は雲であり、川であり、空気なのですから、前世でも、雲や川や空気だったとわかるのです。そして私は石であり、水に含まれる鉱物成分でもありました。私は前世を信じるかどうかを問題にしているのではありません。それが地球の生命の歴史なのです」(p.71)

そうなのだ。ある宇宙物理学者が「人間は星のかけらでできている」と言ったのを思い出すが、まさにわれわれは、食べ物や飲み物を通して、いわば世界の構成物の一部を受け取っているのだ。それに、そもそものおおもととなった遺伝子は両親から受け継いでいる。「私」とは、かかる無数の要素が行き交う交差点上に、たまたま存在するだけのものなのだ。そして、これが仏教だとすれば、仏教とは宗教ではなく、思想であり、科学であったということになる。

もっとも、こうした「理屈」は分かっても、なかなかそのことを自分自身で感じ、呑み込み、会得することは難しい。ティク・ナット・ハン自身も、こうした考え方(「縁起」「インタービーイング」)は「スコップのようなもの」だという。「井戸を掘るにはスコップを使いますが、掘り終ったら、そのスコップは片付けねばなりません」(p.165)。知識としてこうした考え方を知るだけではなく、その中で「生きる」ことが必要なのだ。「真理は知識や概念の蓄積の中にではなく、ただ生きることの中にだけ存在しうることを、心にとめておきましょう」(同頁)

ちなみに、そうした生き方とはどのようなものかが示されているのが、後半の「ある刑務所での法話」である。これはティク・ナット・ハンがメリーランド刑務所で行った法話なのだが、「今を生きる」マインドフルネスに満ちた生き方とはどのようなものかがよくわかる。「エンゲージド・ブッディズム」(行動する仏教)を提唱する著者ならではの、人の生き方を大きく変える力を持った一冊だ。

【本以外】遅まきながら、自閉症啓発によせて

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だいぶ日が経ってしまったが、4月2日は自閉症啓発デー、4月8日までが発達障害啓発週間。「月間」というのは、この記事で初めて知った。

 

知ったと言えば、ジョン・トラボルタの息子さんは自閉症だったんですね。しかも16歳で亡くなっているとのこと。合掌。

 

自閉症を知るために観ておくべき映画といえば、やっぱりコレでしょう。ダスティン・ホフマンの演技が圧巻。

 

 

 

自閉症に限らず、ということならいろいろあるが、個人的なイチオシはこれ。

 

 本作で自閉症の少年を演じるのはディカプリオ。歴代ディカプリオ作品の中で、実は演技ベストワンはこれだと思う。しかも兄ギルバート役はジョニー・デップ! 実は知られざる「夢の競演」映画でもあるのだ。

 

本もいろいろ良いものがある。中でも当事者の発信が増えてきたのがうれしい。まずはこれ。

 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

 

 

海外ではこの人が有名。プロの研究者でもある。

 

自閉症の脳を読み解く どのように考え、感じているのか

自閉症の脳を読み解く どのように考え、感じているのか

 

こちらも読んだことのある人は多いだろう。

 

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 

 

内側から見て、はじめて見えてくるものがある。自閉症に限ったことではないが、感覚過敏など外から見えづらい特性は、やはり当事者の発信があってはじめて広く知られるようになった。発信すること、耳を傾けることの重要性は、いくら強調しても足りない。

 

 

 

 

 

 

【2322冊目】斉藤章佳『万引き依存症』

 

万引き依存症

万引き依存症

 

 

著者は、通院治療で「万引き依存症」の治癒を目指すクリニックに所属するソーシャルワーカー。本書はその膨大な経験に基づき、「万引き依存症」の現状と、回復の可能性をまとめた一冊だ。

言うまでもなく万引きは犯罪である。だが、同時に「依存症」という精神疾患の側面も持っているのが、常習的な万引きの難しいところだ。ちなみに薬物、痴漢などの性犯罪等も、同様に犯罪であると同時に依存症、という二重性をもっている。

犯罪という面だけに着目すれば、刑罰を与える、刑務所に入れるというのが解決策、ということになるのだろう。だが「依存症」だとすれば、刑務所に入れたところで改善はしない。本書によれば、万引き依存症者は万引き行為を引き起こす「トリガー」をそれぞれ持っている。それはスーパーやコンビニといった「場」であることもあるし、夫のギャンブルや夫婦喧嘩などの「家族関係」、あるいは職場のストレスなどであることもある。

いずれにせよ、刑務所内ではそうしたトリガーとなるものがないため万引き行為は起こらないが、釈放されて社会に戻ってくれば、再び多くのトリガーに囲まれた生活を送ることになるから、再犯は時間の問題、ということになる。したがって、万引き依存症には「刑罰」のみならず「治療」が必要なのである。

とはいえ、万引きに限らず、依存症は完全に「治る」ことはない。彼らは「盗まない日」を一日また一日と重ねつつ、生涯これと付き合っていくしかないという。そういえば、アルコール依存症の本で依存症患者を「スルメ」にたとえ、どんなに治療したってスルメが生のイカに戻ることはない、と書いてあったものがあったが、おそらく万引き依存も同じことなのだろう。家族関係が万引きの大きな要因になっていることが多い、という指摘も重要だ。特に「家族を困らせよう」としてやっている万引きは、幼少期に自分が親から受けた行いが遠因になっており、なかなか厄介なのである。

本書は万引きを擁護する内容では決してない。むしろ、万引きを減らすための実効性のある方法を提言している、というべきだろう。とはいえ、万引きをなくす抜本的な方法は存在しない。本書のラストに入っている万引きGメンとの対談で言われているように、発生を未然に防ぐための店舗側の取組みを進めたほうがいいのかもしれない。

【本以外】毎日新聞4月7日朝刊

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「3歳から14歳まで、継母から虐待を受けていた」という質問に対する高橋源一郎の回答がなんとも残念というか、方向性を外していたのでピックアップ。ちなみに回答部分は有料記事扱いとのことなので、ここでの紹介は差し控えるが、気になる方はお金を払うか紙面で見てほしい。

 

この手の「質問」が人生相談には時々出てくるが、そもそも、シロートの作家先生がこの種の質問に的確に回答できるほうがおかしいし、こういう質問に応えさせてはいけない。寄せられた質問が、人生相談で済む内容なのか、プロの対応が必要なのか、人生相談コーナーの担当者はしっかり判断できなければいけない。

 

この質問者さんにまず伝えるべきなのは「そんなつらい記憶や思いを抱えて、よくぞ、ここまで生きてきてくれましたね」「そんなつらい記憶のことを、よく言葉にして、伝えてくれましたね」という気持ちであろう。この人はサバイバーなのだ。そのことをねぎらい、感謝し、讃えるのが最初。

 

次に言葉をかけるとしたら、「虐待のことを忘れる必要はありません」「継母を許す必要もありません」「そういう気持ちになるのが当たり前で、あなたは暗くもひねくれてもいません」ということだと思う。前向きに生きるとは、過去を忘れることでもないし、許すことでもない。忘れられず、許せない自分そのものを認めるところからしか、その先の人生は開けない。

 

奇しくも同じ毎日新聞4月7日朝刊の社会面には、性虐待サバイバーの方の記事もあった。なぜかこちらは全文ネットで読めるようだ。

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この記事で私が一番衝撃的だったのは、勇気を振り絞って実父からの性的虐待を母に訴えた時、返ってきた言葉が「許してあげて」というものだった、というくだりだった。いやいや、違うでしょう。まずは娘に「許して」と言うべきでしょう、と即座に突っ込んでしまったが、それはともかく、奇しくもこの記事に書かれた宮本さんの言葉が、上の「人生相談」の質問者さんへの最良の回答になっている。意図的ではないと思うが、紙面をまたいだピアカウンセリングが起きていた。