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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2174冊目】東山彰良『流』

人類・人間・人生

 

流

 

 
とてつもない小説。とんでもない傑作。

かつて虐殺行為を働いた祖父をもつ主人公の若き日々。悪友と遊び歩き、恋に身を焦がし、兵役に就き、そして殺害された祖父をめぐり、自らのルーツを辿る。

台湾を舞台に、ユーモラスでエキサイティングなエピソードを重ねていく前半と、日本、そして中国に至る怒涛の後半。戦争と中国の分断を背景に、エネルギッシュな若き血が疾走する。雰囲気として似ているのは、民族の血と日々の生活を重ねた金城一紀、圧倒的なスケール感では莫言あたりだろうか。だがその濃密さと、歴史と現在を串刺しにする物語の厚みは、ちょっと他に類を見ない。

裏に流れているのは「過去の罪」と「赦し」をめぐる苦悩であろう。読んでいてどこか、日本の台湾支配や日中戦争をめぐる「罪と罰」が重なって見えた。日本にあたるのは、虐殺を働いた祖父か、その祖父を殺害した意外な人物か。間違いなく21世紀を代表する小説のひとつになるであろう、圧倒的な作品であった。

【2173冊目】安田登『異界を旅する能』

芸術・芸能・スポーツ

 

異界を旅する能 ワキという存在 (ちくま文庫)

異界を旅する能 ワキという存在 (ちくま文庫)

 

 
能には「シテ」と「ワキ」がある。夢幻能では、「シテ」は幽霊などの、この世ならぬ存在。一方の「ワキ」は、多くは旅人であり、ふとした拍子で異界に迷い込む。本書はそんな「ワキ」の視点から能を読み解くだけでなく、そこから日本文化の深みを掬い上げるような一冊だ。

そもそも、多くの旅人が往来する中で、なぜ「ワキ」だけが異界に入ることができるのか。さまざまな理由が本書では提示されているが、印象的だったのは「無力」というキーワード。ワキは「無力」だからこそ、異界からのかそけき声を聴き、幽霊のすがたを見ることができるのだ。

さらにここに「旅」「道行」ということが加わる。旅といっても、それは観光旅行のようなものとは違う。それは世俗の生活から離れた放浪の旅であり「諸国一見の僧」となることだ。あるいは芭蕉がいうように「旅を栖(すみか)とする」ことなのである。

それは自分を「空洞化」する旅でもあるという。だからこそ、その「無」にこの世ならざるものが共鳴し、出現するのだろう。世俗の欲望やしがらみに心が埋め尽くされているようでは、人は「ワキ」にはなれないということなのである。

【2172冊目】奥井智之『社会学の歴史』

地域・公共・共同体

 

社会学の歴史

社会学の歴史

 

 
社会学とは、社会に関する学問だ。では、そもそも社会とは何なのか。

社会学の創始者といわれるオーギュスト・コントは、フランス革命によって出現した市民社会を自らの学問の題材としたという。本書ではその「前史」として、なんとアダムとイブの楽園追放から(さらに言えばキューブリックの『2001年宇宙の旅』の冒頭から)話を始めるのだが、それでも社会が「社会」として可視化されたのは、やはりフランス革命以降であると考えてよさそうである。

そこから著者は、マルクスエンゲルスフロイトという社会学に深い影響を与えた巨人を紹介し、ジンメルデュルケームウェーバーシカゴ学派パーソンズと、いわゆる「教科書的な」配列で主要な社会学者の学説を紹介していく。その内容は書かれたものというよりまるで「語られたもの」のようである。時に脱線し、時に拡張し、その展開はまるで講義録のようだ。だからこそ、本書はタイトルこそ退屈そうに見えるが、実は読んでみるとなかなか面白い。特に、個々の社会学者の生涯や人柄がユーモラスに語られているのが良い。

それにしても読んでみてあらためて思うのは、社会学という学問分野は、本当に欧米のものなのだなあ、ということだ。本書の最終章では日本人の社会学者が紹介されるが、5人のうち2人は福沢諭吉柳田国男。残りの3人のうち知っていたのは清水幾太郎だけだった(知らなかった2人は、高田保馬と鈴木栄太郎)。

社会学自体が明治以降に輸入された学問であって、彼ら日本の社会学者がその成果を学びつつ、懸命に日本社会を捉え、独創的な理論を打ち立てたことは、たいへんに素晴らしいと思う。だが、ここで冒頭の問いに戻るのであるが、そもそもフランス革命のようないわゆる市民革命を経ていない日本に「社会」はあったのだろうか。否、今もあるのだろうか。日本だけではない。社会という概念自体、果たしてそれほどの普遍性のあるものなのだろうか。アジアやアフリカには「社会」はあるのだろうか。ひょっとして「社会」とは、欧米独自のローカルなものにすぎない、という可能性はないだろうか。

極論かもしれない。いや、たぶん極論なのだろう。実際に、欧米の社会学者によって行われた分析や理論の多くは、日本の「社会」にもあてはまる。だがそれでも、社会学という学問分野自体の射程を本当にそれほど広くとらえてよいものか、いささかの疑問は残るのである。

【2171冊目】アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ『熊と踊れ』

旅・冒険・突破

 

熊と踊れ(上)(ハヤカワ・ミステリ文庫)

熊と踊れ(上)(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 

熊と踊れ(下)(ハヤカワ・ミステリ文庫)

熊と踊れ(下)(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 



冒頭の武器庫での強奪シーンに驚き、同時に2カ所を襲うという銀行強盗計画に驚き、実話をもとにしたストーリーだと気付いて驚き、訳者あとがきで驚いた。ネタバレ扱いになっているようなのでここでも書かないが、う~ん、そうだったのか。

父から息子への、暴力の連鎖。父を憎みながらも父にとらわれた兄弟たちの「血の悲劇」。物語は過去と現在を行ったり来たりしつつ、思いもかけないクライマックスへ突き進む。しかも繰り返すが、このとんでもない連続銀行強盗事件、実際にスウェーデンで起きた事件がモデルになっているというのである。いやはや、なんともすさまじく、そして哀しい事件であることか。

重厚だがスピード感あふれる、とんでもないクライム・ノヴェル。「このミス」で一位になったというが、深く納得。余計な解説は一切不要の、最高級のピカレスク・ロマンである。

【2170冊目】伊藤比呂美『父の生きる』

日常・生活・観察

 

父の生きる (光文社文庫)

父の生きる (光文社文庫)

 

 



自分が死ぬ前って、どんなふうなんだろう。「もう生きるのは十分」って思ってるのかな。それとも「まだまだ生き足りない」と思ってるんだろうか。

本書は、カリフォルニア在住の著者が、熊本に暮らす父の最後の日々を綴った一冊。常に一緒に暮らし、介護しているのとは違うが、その分、離れたところにいるがゆえの隔靴掻痒が伝わってくる。

なかなか死なない。死んでほしいと望んでいるわけでは、もちろんない。だがそれでも、人が死につつあり、それでも生きているのを見守るのは、実はけっこうしんどいことだ。

「人ひとり死ぬのを見守るには、生きている人ひとり分の力がいるようだ」

 

印象的だったのは、著者の「今日仕事終わったからほっとしてるの」という言葉に対する、父の「おれは終わんないんだ」という答えだった。

「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに」

 
そういうものなのか。仕事も勉強も、考えてみれば区切りがある。どこかで「終わる」瞬間がある。物心ついてから、ずっとそういう生活をしてきた。それが当たり前だと思っていた。だが、リタイアした後の生活って、そういう「終わり」「区切り」がない生活なんだ。

介護している人の立場で読むか。死にゆく人の立場で読むか。どんな読み方でも、そこから何かが見えてくるのではないか。そんなふうに思えた一冊だった。