自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【2243冊目】サン=テグジュペリ『夜間飛行』

 

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

 

 

「リヴィエールは、世界の半分を包むこの夜を見守る夜警なのだった」(p.39)

 

『夜間飛行』といえば新潮文庫堀口大學訳だが、今回は古典新訳文庫を読んでみた(上のリンクはkindle版だが、読んだのはもちろん紙書籍)。堀口訳の格調もよいが、この二木麻里訳のやわらかさもすばらしい。フランス語が読めないのではっきりしたことはいえないが、たぶんサン=テグジュペリ自身の文章は、この二木訳に近いのではないかという気がする。

以前読んだ時は、空を飛ぶファビアンにひたすら魅了された。特に、暴風雨を突き抜けて雲の上に飛び出すシーンの美しさときたら! しかもそれは、二度と地上に戻れないという、凍てついた死の美しさなのだ。

だが、今回どうも気になったのは、地上にあって厳格なリーダーシップを行使するリヴィエールのほうだった。現場の采配をふるい、命令を発し、リスクを負う彼も、今読み返してみれば、夜の空を飛び続ける男の一人なのだ。管理する者、整備する者もまた、現場の一員なのである。そのことを、冒頭の一文は象徴しているように思える。

それにしても、この飛行感覚の見事さを、いったいどう形容したらいいのだろうか。月並みかもしれないが、願わくば宮崎駿に、この小説をもとにした渾身のアニメーションをつくってほしい。

【2242冊目】海堂尊『トリセツ・カラダ』

 

トリセツ・カラダ

トリセツ・カラダ

 

 



医師であり作家でもある著者による、「人体」の入門書。ヨシタケシンスケのユーモラスなイラストの助けもあって、きわめてわかりやすく読みやすい一冊になっている。

説明もほどよくざっくり、ポイントをつかみやすい書き方になっている。イラストもゆる~いトーンで笑えるものが多いが、一方では67ページのイラストなど、消化器の全体像をシンプルながらこれ以上ないわかりやすさで図示しており、なかなかあなどれないものがある。

Ai(オートプシー・イメージング)という手法で撮影されたという臓器写真も、これまであまり見たことのないもので、これもまた、なかなか。このAi、遺体の画像診断法として画期的なもので、解剖に先立って行うことで、場合によっては身体を切り開くことなく死因を調べることができる可能性があるというのである。なるほどね。

【2241冊目】今井照・自治体政策研究会編著『福島インサイドストーリー』

 

福島インサイドストーリー

福島インサイドストーリー

 

 
以前読んだ『防災の決め手「災害エスノグラフィー」』という本を思い出した。阪神・淡路大震災の「現場」での記録を書き起こした一冊だったが、こちらは東日本大震災後の福島における、市町村職員の奮闘の記録である。

もっとも、当時の福島県内の市町村職員が置かれた状況は、他の災害のそれと比べることさえむずかしい。地震や台風のような災害は、どんなに過酷なものであっても、過去の蓄積があり、先例がある。しかし原発事故で、町がまるごと避難することなど、かつてどんな自治体も経験したことはない。

国や県からもほとんど情報が来ない中、自主的に全町民避難を決断し、受け入れ先の自治体と交渉し、バスやトラックを確保し、食事や毛布を提供する。しかも、時間の猶予はほとんどない。そんなミッション・インポッシブルの中に、市町村職員はいやおうなく放り込まれる。国は「計画」の策定ばかりを求め、県は自ら物資を運んでくることさえしない中で。

だがそんな経験が、自治体職員としての力量を一挙に高めたことも否定できない。「もし我々であれば、もう一回あっても、今度は自信持ってできます(笑)。もう一回同じことあったら、もっとうまくやるよね(笑)」(p.54)と語るのは、富岡町で全町民避難を主導した職員だ。国や県の右往左往と比べて、その言葉はなんと心強く、頼もしいことか。

それでも、彼らがおかれた環境が過酷だったことには変わりはない。自らも家族も被災し、精神的に余裕がない中で、住民の罵倒を浴びながら最前線でやったこともない仕事をこなさなければならない。メンタルリスクが極めて高い仕事である。「私たち職員も被災者だった。しかし、市職員でもあった」(p.77)という南相馬市の職員の言葉が、なんとも重く響く。

市町村職員の仕事が完璧だったというつもりはない。だいたい、災害対応業務に完璧などありえない。問題は、この稀有の体験をどのようにして後世に承継していくか、である。喉元過ぎて熱さを忘れた連中が、原発を次々に再稼働させ、「有権者」のみなさまがそうした連中に投票している以上、同じようなことがいずれ起きるのは明らかだ。とすれば原発立地市町村に必要なのは、国からも県からもいっさいの情報が入らないなかで、自前で情報を収集し、的確に判断し、迅速に行動できるような力量を、個々の自治体職員が身につけておくことであろう。本書はそのための、おそらく唯一のテキストブックであり、手引書になるはずの一冊だ。

 

 

防災の決め手「災害エスノグラフィー」 ~阪神・淡路大震災 秘められた証言

防災の決め手「災害エスノグラフィー」 ~阪神・淡路大震災 秘められた証言

 

 

【2240冊目】吉村昭『死顔』

 

死顔 (新潮文庫)

死顔 (新潮文庫)

 

 
吉村昭、晩年の作品集。「ひとすじの煙」「二人」「山茶花」「クレイスロック号遭難」「死顔」の5篇を収める。

遺作という「死顔」は、次兄の死を扱った作品という点では「二人」と同じ。出てくるエピソードも同じものが多く、まるで「死顔」は「二人」のリライトのようだ。違うのは、次兄の浮気相手という女が「二人」では出てくるが、「死顔」には出てこないというところ。いったい吉村昭はどんなつもりで、同じ出来事をもとに二種類の作品を世に出そうと思ったのだろうか。

ぞわりとしたのは、やはり死の年に書かれた「山茶花」だ。朴訥な保護司を主人公に、介護殺人で夫を殺した老女との交流を描くのだが、この光代という女性の、なんというか釈然としない存在感のような、何かの塊がノドにひっかかった感じというか。イヤミス、というほど露骨ではないが、かえってちょっとした「つやつやとした顔色」とか「普段は地味な服装がおしゃれになった感じ」などが気になってしょうがない。だがそんな光代も、夫の絞殺を思い出すのか、手ぬぐいやタオルは使うことができないのである。

「クレイスロック号遭難」は、吉村昭らしい歴史モノ。明治の不平等条約改正運動に重ね合わせてロシアの船の遭難騒動を描く。忘れがたいのはラストの、不平等条約改正のわずか半年後に日清戦争を起こす日本という国のありようだ。条約改正に向けて外国の好印象を得ようと、船の捜索に全力を挙げた政府は、果たして日清戦争を起こした政府と同じなのであろうか。

【2239冊目】ホルヘ・ルイス・ボルヘス『七つの夜』

 

七つの夜 (岩波文庫)

七つの夜 (岩波文庫)

 

 



1977年。77歳の著者が行った、7夜限りの、7つの講演。テーマは「神曲」「悪夢」「千一夜物語」「仏教」「詩について」「カバラ」「盲目について」。いかにもボルヘスらしい自在なテーマ設定だが、話の展開も変幻自在。決して難解ではないが、深い。解説不要、ただひたすらに「知の世界」に遊ぶための一冊だ。

「私がただひとつ主張したいのは、『神曲』というあの至福の書を享受しない権利、それを無心に読むことを差し控える権利など誰にもないということです」(「神曲」)

 



「夢はもっとも古い芸術活動である」(「悪夢」)

 



「その本はあまりに膨大なので、読み切る必要がない。なぜならそれはすでに私たちの記憶の一部であり、今宵の一部でもあるからです」(「千一夜物語」)

 



「アルゼンチン人であるとはどういうことなのか。アルゼンチン人であるとは、私たちがアルゼンチン人であると感じることです。では、仏教徒であるとはどういうことなのか。仏教徒であるとは、理解することではない。そんなことはすぐにできてしまう。そうではなく、四つの崇高な真理と八つの道を感じることなのです」(「仏教」)

 



「詩とは感じ取るものだと私は思う。だからもし君たちが詩を感じ取れないのなら、美しいと感じられないのなら、もし小説が、それからどうなったのかを知りたいという気持ちにさせてくれないのなら、作者は君たちのために書いたのではない。それを脇に置きなさい。文学というのはとても豊かなもので、君たちの興味を引くのにふさわしい作者もいれば、今はふさわしくなく、君たちが将来読むであろう作者もいるのだから」(「詩について」)

 



「言葉について考えるとき私たちは、それが歴史的に最初は音であり、後に文字になったと考えます。それにひきかえ、カバラ(「受容」「伝承」という意味です)においては、文字の方が先であり、神が道具としたのは文字であって、文字によって意味を成す言葉ではないと想像されている」(「カバラ」)

 



「私にとって盲目とはまったくの不幸を意味してきたわけではありません。盲目を哀れみの目で見てはならない。それはひとつの生き方として見られるべきです。盲目とは人の生活様式のひとつなのです」(「盲目について」)