自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1779冊目】高橋明『障害者とスポーツ』

障害者とスポーツ (岩波新書)

障害者とスポーツ (岩波新書)

久々の「テーマ読書」。今回は「障害者をめぐる20冊」を取り上げる。最初の本は、やや意外な角度から入ってみたい。

本書は、障害者のスポーツに長年携わり、車椅子バスケットボールの全日本監督も務めた著者による、障害者のスポーツの世界を紹介する一冊だ。

「障害者のスポーツの世界」なんて、「の」が2つも続いて、書いていてちょっと気持ち悪いのだが、これは著者が障害者スポーツという特殊なスポーツはありません」(p.3)と書いていることによる。

「障害のためにできにくいことがあるだけだという理念のもとに、「何ができないか」ではなく、「何ができるか」に視点を向けて、用具やルールを工夫しながら行われているものを、「障害者のスポーツ」と呼んでいます」(同頁)


そして、本書でまずびっくりしたのは、その「用具やルールの工夫」のとんでもない多彩さである。ボールの転がる音を頼りにプレーするサウンドテーブルテニス(盲人卓球)、脳性麻痺者のために考案された球技ボッチャ、直径50センチのボールで行う電動車椅子サッカー、下肢切断者中心の座って行うシッティングバレーボール、アイマスク着用で行われ、ハンドボールで行われる視覚障害者対象のグランドベースボール……。

同じ競技でも、障害に合わせたアレンジを行うことも多い。ボウリングでは、握力が弱かったり手指を切断した人のためにボールに持ち手をつけたり、電動車椅子を使用する人のために、手元からレーンに伸びる鉄製のスロープを設けたりする。視覚障害者のために、ピンの方向から音が鳴り、どこのピンが倒れたか手元で分かるようになっているものもあるという。

それにしても、なぜここまでしてスポーツをやるのか……とつい考えてしまうが、しかしこれは、疑問自体が大間違い。むしろ「わたし」はどうしてスポーツをやるのか、と考えるべきなのだ。例えばバスケットボールのゴールが5メートル上にあったり、サッカーボールが鉛玉でできていたら、われわれはスポーツをやるだろうか。競技は人間の身体にあわせてデザインされている。だったら障害にあわせたデザインの競技があって当然である。

まあ、理念はそうであっても、障害者のスポーツはリハビリテーションから始まった、というのが、実際のところらしい。この来歴が、実はたいへん興味深いのだ。

私も初めて知ったのだが、脊髄損傷で歩けなくなって車椅子に乗っている人にとって、実は排尿と排便がたいへんな問題になるという。彼らは(障害の程度にもよるが)障害によって排尿や排便の感覚がなくなり、たとえば排尿後、膀胱に尿が残っていても、尿意がないためそのままにしてしまう。そのため残尿に菌が繁殖して尿路感染や尿毒症を引き起こし、亡くなるケースも多かったという。

ところが、例えば車椅子バスケットボールなどのスポーツを行うと、発汗が促進され、新陳代謝がよくなり、水分を多く摂ることになる。そのため尿の排出が促され、尿系統の病気の予防につながる。なんとこれが障害者のスポーツの発祥だという。

もちろんそれ以外にも体力がつき、スポーツを通した障害受容の促し、「障害そのものを意識させなくなるほどの影響力」、自己決定権の尊重、自己選択権の行使、QOLの向上と、なんとも良いことづくめなのである。もちろん、誰もがいきなりそうしたスポーツの世界に飛び込めるわけではない。むしろ、そうした境地に至るまでの葛藤の深さは当事者以外には想像もつかないものであって、そのあたりの事情は井上雄彦の傑作『リアル』を読めば多少なりともイメージできるのではないか。

そして、そうした障害者のスポーツのひとつの到達点が「パラリンピック」なのだ。ちなみに本書で初めて知ったのだが、「パラリンピック」という名称が愛称として最初に使われたのは、1964年の東京オリンピックの際だったという(ちなみに当時の正式名称は「国際ストークマンデビル競技大会」というものだった)。なお正式名称として「パラリンピック」が採用されたのは、1988年のソウル大会からだそうだ。

本書は新書一冊の中に「障害者のスポーツ」をめぐるさまざまなトピックをコンパクトにまとめており、「障害者のスポーツ」を知る上でたいへんありがたい入門書だ。10年前に書かれた本であるが、内容は今でも十分通用すると思われる。

2020年、東京ではパラリンピックが開かれる。だが、そもそも障害分野とスポーツ分野をどうやってつなげてよいものか、よく分からない(私も含む)行政関係、団体関係の方々は多いのではなかろうか。本書は何より、そうした関係者のための必読書だ。

リアル 1 (Young jump comics)