自治体職員の読書ノート

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【941冊目】松本克夫『風の記憶』

風の記憶 自治の原点を求めて

風の記憶 自治の原点を求めて

日本全国の「地域」を取材する中で著者が見たものとは、末端から壊死しつつある日本の姿であった。日本が立ち腐れないためには、地方をこそ何とかしなければならない。そのための処方箋を、豊富な各地の事例から探る。

『月刊ガバナンス』連載の記事を、テーマごとにおおまかに分類し、再配列した一冊。書かれた時期はおおむね小泉政権から福田政権あたりまでになる。それはつまり、地方交付税の削減や強引な市町村合併が相次ぐ中で、多くの「地方」が急激に弱体化し、廃れ、都市と地方の「格差」が社会問題化した時期である。本書は、地方の社会や文化が解体し、崩壊しつつあるさまを、リアルタイムで描き出している。

もっとも、本質的な意味での地方の衰退や崩壊は、実はもっと前から始まっている。国主導の「全国総合開発計画(全総)」に始まり、テクノポリスやリゾート法など、画一的で中央集権的、開発優先の「地方活性化」が、自然と結びついた地域の生活を破壊した。それは本書のコトバで言えば「おかねの世界」の論理に、地方が自らを売り渡した行為であった。道路やダム、ハコモノは、確かに経済的な発展を地方にもたらした。しかしそれが、実は「いのちの世界」と引き換えの行為であったことに、誰も気づかなかった。それが先鋭的なかたちであらわれたのが、まさしく水俣病であったのだ。

著者によれば、そもそも地域における自治の原点は「自然と人間のいのちの交歓の場としての集落」にあった。そこでは地域の自然環境や伝統や文化が「いま」の住民の土台をかたちづくっている。人々の生活は過去からつながり、「縁」と「絆」によって周囲とつながり、そしてその大切さが未来へと伝えられる。ややベタな言い方で言えば、それこそが人間の生活における「いのちのリレー」であって、それを育むことこそが自治の根本にあるはずなのだ。

ところがこうした「いのちの世界」の論理を、「おかねの世界」の論理から見るとどうなるか。住民同士の顔が見える小さなムラ、自然に囲まれて家々が点在するような集落は「経済的効率が悪い」ため、合併によって事実上解体されていく。ムラで得られた品々を交換する場としての「マチ」もまた、その外側にできる車社会対応のショッピングセンターによって地域の商店街が崩壊し、中心市街地がゴーストタウン化する。その代わりに増えてくるのが、著者の用語でいうところの「ハズレ」すなわち郊外である。ここでいう「ハズレ」とは、単に場所だけの問題ではない。そこは生産とも販売とも切り離された「消費者」だけが住むいびつな社会である。そこでは住民は地域の伝統とも文化とも絆とも切り離され、ショッピングセンターとマクドナルドとコンビニに囲まれて、孤立の中で心を病む。そうした「ハズレ」の拡大こそが現代のさまざまな病理現象につながっている、と著者は主張する。

郊外と「心の病」をダイレクトに結びつけることの妥当性はさておき、「おかねの世界」の論理だけで進められてきた市町村合併や大規模な自然破壊を伴う開発や中央集権的な農業政策などが、結果として人が生きる場としての地域を破壊してきたという著者の主張にはうなずかざるをえない。もっとも、本書はその半分でこうした地域の現状を憂えているものの、もう半分では、そのような地域の問題を地域自らの手で解決しつつある人々を紹介する。そこに登場する事例は、宮崎県綾町や山形県高畠町の有機農業や高知県馬路村の「自立の村づくり」、新潟県村上市の「町屋の人形さま巡り」など本当に多種多彩でオリジナリティにあふれている。日本中の「地域」に住む人々の知恵と底力に驚かされるとともに、こうしちゃいられない、と発奮させられる。本書のどこかに書いてあったが、まさに「愚痴より自治」。国の施策やグローバリズムに文句を言う前に、できることはいくらでもあるはずなのである。