自治体職員の読書ノート

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【392冊目】中江兆民「一年有半・続一年有半」

一年有半・続一年有半 (岩波文庫)

一年有半・続一年有半 (岩波文庫)

中江兆民という名前は知っていたが、著作を読むのはこれが初めてであった。読んでとにかく恐れ入った。政治や社会から浄瑠璃、歌舞伎などの芸能に至るまでを縦横に論じ、しかもすべてに強固で明確な「兆民の視点」が貫かれている。話題は政治のことから突然文楽の話に飛んだり、日常の余話から突然、社会問題を舌鋒するどく論じたりと、とにかくぽんぽんとよく変わる。変わるのであるが、話題が変わっても、その文章のトーンがほとんど変わらないところが面白い。

本書は、咽頭ガンのため余命一年半との宣告を受けた兆民が綴ったものである。社会批評や政治批評となっているのは「一年有半」であり、「続一年有半」のほうは、世の哲学や宗教全般に対するラディカルな(しかし、一般の感覚でいえばむしろ当たり前のことばかりの)反論となっている。特にするどく批判されているのは、いわゆる「心身二元論」的な、精神を肉体の上位においてその不滅性を論ずるようなデカルト的思想である。また、無から有が生まれたとする世界生成理論や、神が世界を創造したとするキリスト教的世界観に対しても批判が浴びせられる。その論理はきわめて明晰であり、兆民の思想がおそろしく合理的でロジカルな思考回路によって成り立っていることが読み取れる。

「一年有半」に戻るが、19世紀から20世紀に変わろうとする時節において、この文章が、おそらくは死を目前に控えた兆民によって書かれたことの意味は重い。特に「日本に哲学なし」と歎じ、「民権これ至理なり、自由平等これ大義なり」として自由民権の普遍性を唱えつつも「わが邦人は利害に明(あきらか)にして理義に暗らし」として考えることを厭う国民性を歎くところなど、日本に対する一種の絶望感と焦燥感、将来に対する危惧の念は、今でもそのまま通用するものをもっている。言い換えれば、兆民が本書を著してから100年が経過した今日でも、兆民の危惧はいまだ続いているのである。