自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2809冊目】村上春樹『羊をめぐる冒険』


村上春樹、初期の代表作です。一ヶ月まえに妻と離婚し、東京で広告の仕事をしている「僕」は、一枚の写真がきっかけで、羊をめぐる奇妙な冒険に出かけることになります。


読んだのは20年ぶりくらいでしょうか。あらためて読んで、こんな筋書きだったんだ、と驚きました。それほどに、最初に読んだ時は、「僕」の繰り出す独特のレトリックと冷めた内面語りのセンスに酔うばかりで、これがどういうストーリーなのか、全然把握できていなかったのです。


もっとも、今読んでも印象自体はあまり変わりませんでした。物語自体もかなり波乱に富んでいるはずなのに、そのことはあまり起伏をつけて語られず、それより「僕」の内面の描写に圧倒的な比重が置かれています。


その「僕語り」は、今読むといささか鼻につくものがあります。例えば「世界は僕とは無関係に動きつづけているのだ。人々は僕とは無関係に通りを横切り、鉛筆を削り、西から東に向けて一分間に五十メートルの速度で移動し、磨きぬかれたゼロの音楽をコーヒー・ラウンジにふりまいているのだ」(上巻p.156)なんて書かれると、これはちょっと自意識をこじらせすぎじゃないかと思えてしまいます。


のちの村上春樹は、語り手(たいていは「僕」)の内面を徹底的に掘り下げて、無意識の深層に流れる地下水脈にまで届かせようとしていますが、本書ではまだまだその掘り下げは表層でとどまっているような印象です。それがライトで現代的と感じられたため村上春樹はウケたのでしょうが、後年の作品を知っていると、いささか物足りなさを感じてしまいました。


一方、独特のレトリックやメタファーは、やはりたいへんに冴え渡っているものがあります。例えば「スクリアビンのピアノ・ソナタに聴き入っている音楽評論家のような顔つき」。これはベートーヴェンでもラフマニノフでもダメで、やっぱりスクリアビンじゃないといけません。その後すぐに出てくる「誰かが時折ミイラの頭を火箸で叩いているような乾いた音をたてて咳をした」「覆面をかぶらなくても十分銀行強盗ができそうなくらい無表情な車掌だった」なんてのも、うまいですね(いずれも下巻p.90)。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


#読書 #読了