自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2807冊目】宇佐見りん『推し、燃ゆ』


これはすごかった。新たな日本文学の誕生だ。


言葉の熱量がすごい。それを完全にハンドリングして、ドライブする著者の腕力がすごい。現代的でありながらすべての年齢層に通じる、個性的で普遍的な文章がすごい。


主人公の「あかり」は生きづらさを抱えた高校生だ。勉強はまったくできず、バイト先では失敗ばかり。病院で何かの診断を受けているらしいが(おそらく学習障害をともなう発達障害)、家族にはまったくその理解はない。つまり、家にも学校にも居場所がない。


そんなあかりにとってもっとも大切なものが「推し」であるアイドルの上野真幸だ。「推しはあたしの背骨」であり「推しのいない人生は余生」と言い切るあかり。星占いでは自分の星座には目もくれず、推しのラッキーアイテムを持って出かける。バイト代はすべて推しのために注ぎ込む。投票券のため50枚のCDを購入し、それでも推しが最下位だと「本当に限界まで切り詰めてCDを買っていたら」と考えてしまう。


あかりの人生はまるごと推しに捧げられている。そんなあかりを見て、そんなの自分の人生じゃない、と言える人は幸せだ。あかりにとって、自分には何の価値もない。だから推しという支えがあって、どうにか生きていけるのだ。まさに推しは生きるための手段であって目的なのだ。


この本はそのことを、徹底的にあかりの内部からの視点だけで描き尽くす。そういうことをやった作家といえば、パッと思いつくのは太宰治あたり、最近なら車谷長吉西村健太あたりだろうか。だが、それが直接自分の内部に向かうのではなく、「推し」という鏡によって自分を照らし出しているところが斬新だ。これは何かと言えば、新たに誕生した令和の私小説にほかならない。


長くなったが、あと一つだけ。本書はその書き出し「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」でも有名になった。本書について書く多くの文章が、この書き出しを引用する。そういう小説は、ここ久しくなかったのではないか。近年のどんなベストセラーでも、その冒頭の一文がパッと浮かんでくる小説ってあるだろうか。


古典では時々そういうのがある。たとえば、


吾輩は猫である。名前はまだ無い」


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」


「メロスは激怒した」


「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」


「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた」


「今日、ママンが死んだ」


それぞれの小説のタイトル、わかりますか。


ちなみに私が一番好きな書き出しは、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』。どんな文章か気になる方は、青空文庫でも覗いてみてくださいね。


それはともかく、そういう例に匹敵するほど、本書の書き出しのインパクトはすごい。これだけでも、本書は歴史に残るのではないかと思う。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


#読書 #読了