自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2678冊目】宇佐美まこと『羊は安らかに草を食み』


すばらしい小説でした。たまにこういう小説に出会えるから、本読みはやめられません。


この小説は、ふたつの「旅」で構成されています。第一の旅の舞台は、現代。認知症になってしまった益恵が施設に入る前に、それまで住んでいた思い出の地を辿ります。同行するのは、80歳のアイと77歳の富士子。益恵が86歳だから、お婆さん3人の道行です。


第二の旅は終戦前後、ソ連の侵攻を受けた開拓民が逃げまどう、混乱期の満州が舞台です。開拓団の一員として現地で育った10歳の益恵は、ソ連の戦闘機が機銃掃射を浴びせ、満人らが襲いかかってくる中、日本に向けて必死の逃避行を試みます。


第一の旅が高齢者3人ののんびりしたものであるのとは対照的に、第二の旅は凄まじいものです。食べ物も水もほとんどなく、それでも待ち伏せしている満人や追ってくるソ連兵に殺されるから、足を止めることもできません。家族が全滅し、一人残された益恵は、そこで知り合った佳代という女の子と2人で、ありとあらゆることをして生き延びます。死体から服を剥ぎ取り、泥水をすすり、佳代を襲った満人を石で殴り殺すのです。


そして現代、そんな壮絶な人生の記憶は、認知症になってしまった益恵の中に封じ込められているのですね。この設定を読んだ時は、正直舌を巻きました。なるほど、こういう「戦争体験」の描き方があったのか、と驚きました。


過去の出来事でありながら、その体験は地続きに、今生きている人にまでつながっている。そのリアリティを描こうと、これまで多くの作家がさまざまな工夫をしてきました。その中でも、本書はずば抜けた成功を収めていると思います。戦争の体験は、歴史であって現在でもあるのです。それは戦争を生きた人間の中に折り畳まれ、封じ込められているのですね。


とはいえ、戦争を知る人の多くはすでに亡くなりました。生きていても、益恵のように認知症になっていることも多いことと思います。それによって、いったい何が失われようとしているのか。それは本当に、失われてしまってよいものなのか。そして、そんな多くの想いを背負って、今を生きている私たちはどう生きればよいのか。そんなたくさんのことを、この本からは考えさせられました。


ラストは突然火曜サスペンス劇場になってしまってびっくりしましたが、これもまた、アイや富士子なりの、益恵の体験の引き受け方なのだと思います。そしてまた、アイや富士子の体験も、誰かが受け継ぎ、その人の生を紡いでいくのでしょう。私たちはそのようにして、先人の記憶を引き継いできたのだと思います。そして、これからも。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!