【2652冊目】レイラ・スリマニ『ヌヌ 完璧なベビーシッター』
「ヌヌ」とは、乳母を意味するフランス語「ヌーリス」(nourrice)の子ども言葉とのこと。パパ、ママみたいなものだろうか。ただ、この言葉自体はとても訳しにくい。日本語で、「乳母」「ベビーシッター」に対するそうした呼び方はあるのだろうか。
日本でも少し前までは、家庭に入り、育児や家事を担う存在は、少し裕福な家ではめずらしくなかった。「乳母」「お手伝いさん」「女中」などと呼ばれた日本版のヌヌたちは、ほとんどが女性であり、さらに言えば本書のルイーズがそうであるように、ほとんどが低所得層だった。
かつての日本でも、また本書で描かれるフランスでも、「ヌヌを雇う側」と「ヌヌとなって雇われる側」には、あきらかな格差があった。どんなに「あなたは家族同然」と言われても、使われる側はあくまで使われる側であり、そのことはちょっとしたきっかけで表面化した。雇い主の側は、何か気に入らないことがあれば、それだけでヌヌをクビにできるのだから。
それは、本書の「主人公」の、育児も家事もパーフェクトにこなすルイーズの場合も例外ではなかった。子どもに化粧をさせた、などのちょっとしたことで、雇い主のポールはルイーズを辞めさせようと考えてしまう。ルイーズの側からすれば、仕事をしている間は常に格差を見せつけられ、雇い主の反感を買わないよう細心の注意を払い、それでいて自分の感情をコントロールして「家族同然」に子どもと接しなければならない、ということになる。そんなルイーズの気持ちに、雇い主夫婦はあまりにも無関心だ。
そういう状況がルイーズを蝕んだのか、他のどんな要因があったのか、とにかく本書のルイーズはどんどん「常軌を逸する」行動が増え、だんだん狂っていく。最後の方では、その様子は雇い主のポールとミリアムにも明らかになるのだが、その時にはすでに手遅れだ。
かくて本書は、冒頭の悲惨な場面に回帰する。赤ん坊のアダムと幼児のミラが殺されるというショッキングなシーンである。この小説は、ルイーズはなぜそんなことをしたのか、を読者に追体験させる。そこでどんな「答え」を見つけるかは、ひとりひとりの読者に委ねられている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!