自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2636冊目】モーリヤック『テレーズ・デスケイルゥ』


テレーズの夫ベルナールは、暴力を振るうわけでも、酒やギャンブルにハマっているわけでも、浮気しているわけでもない。まあ、世間一般でいえば、「良い夫」ということになるのだろう。


ところが、テレーズはこの夫が耐えられない。その「ますますふとってきたこと、例の鼻声、それからあの抑えつけるような調子、いい気な自己満足」(p.102)。しかしもっとも嫌なのは、この夫が世間の評判や名誉ばかりを気にするまったくの俗物であることだ。


夫の妹アヌが慕うジャンは、夫とは違い、精神的な価値を理解し、テレーズと共鳴するところも多い。テレーズはかすかに惹かれるが、彼もまたテレーズのもとを去ってしまう。ベルナールとの間にマリという子どもが産まれるが、なぜか母親としての愛情を感じることはできない。目に見える理由がないまま、じわじわと精神的に追い込まれていくテレーズは、なんと夫の毒殺を決意する。テレーズには、それくらいしか、この状況を脱する手立ては思いつかないからだ。


事態はさらに悪い方向に進む。毒殺は失敗し、テレーズは罪に問われる。しかし、ここでベルナールがテレーズをかばい、テレーズは無罪放免となるのだ。妻を愛していたからではない。妻の動機を理解したからでもない。妻が犯罪者となることは、夫の家の名誉を損なうことになるからだ。しかもベルナールは、テレーズは財産目当てで自分を殺そうとしたものと信じ込んでいる。


いやはや、恐ろしい状況である。別れることも拒否され、外に出て行くこともできず、テレーズは事実上の飼い殺しになるのである。刑に服することさえ許されない、徹底した絶望。


本書はキリスト教文学としても有名で、遠藤周作が傾倒したというが、正直、そのあたりは私には読み解けなかった。むしろ思い出したのは、最近の小説である『82年生まれ、キム・ジヨン』。外形的には安定した平穏な生活の裏側で、一人の女性の精神が少しずつ損なわれ、切り刻まれていくところがそっくりだ。


そうなのだ。この小説は、1927年に書かれたにもかかわらず、読みようによっては、おそろしく「現代的」なのである。テレーズがもう一人のキム・ジヨンであるというところに、本書の「怖さ」と「哀しさ」が存するのだ。お仕着せの「キリスト教文学」より、私には、そういう理解のほうが腑に落ちた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!