【2611冊目】マーク・チャンギージー『〈脳と文明〉の暗号』
タイトルだけでは何の本なのかさっぱりわからないが、原題は「Harnessed」で、これには「自然の力をうまく利用する」というニュアンスがあるという。本書において、その対象は「聴覚」、具体的には「話し言葉」と「音楽」だ。その意味で本書は、視覚を扱った著者の前著『ヒトの目、驚異の進化』と対になる一冊といえる。
前著は(本書同様、タイトルの邦訳はイマイチだが)人間の視覚の謎を解き明かすもので、意外性があってとても面白かった。なので本書にも期待していたのだが・・・う〜ん、残念ながら、前著ほどエキサイティングではなかった、かな。
結論部分はたしかに驚くべきものだ。なにしろ「話し言葉は固体の物理現象を、音楽は人の動作音を模倣している」「文化が進化するにつれて、自然界を模倣しながら言語と音楽が形成された」というのだから。
しかし、そこに至る論証が、私にはどうにも雑に思えた。まず「話し言葉」のほう。固体の物理現象を「ぶつかる」「すべる」「鳴る」の3種類とするが、なぜその3種類なのかの説明がほとんどない。
音楽については、確かに様々なリズムやメロディを分析しているが、対象としているのはクラシック音楽のみ。音楽が人の動作を起源としているなら、複数の音楽ジャンルに共通する要素を探したほうが説得力があるだろうに、本書ではアフリカやアジアの民族音楽にも触れず、あるいは同じ西洋音楽でも、グレゴリオ聖歌のように昔に遡ることも、ロックやポップスなど現代の音楽を扱うこともない(クイーンのWe will rock youなんて格好のネタだと思うのだが)。
だいたいクラシック音楽であれば、そのテンポが「歩行速度」をもとにしていることは、速度記号のAndanteが「歩くような速さで」という意味であることからも読み取れる(ちなみに3拍子は「馬の走るリズム」が元であるという説もある。真偽は不明だが)。2拍子といえば行進曲だし。
それに、音楽が人間の動作音を模倣しているから人を惹きつけるというなら、最初から動作音を聴けば良いことではないのだろうか。「人が歩く音」のCDがヒットチャートに乗ったとは、寡聞にして聞いたことがない。
肝心の部分で論証が抜けているわりに、本書は冗長でもある。結論を先取りで最初に示し、そのことを何度も繰り返すので、大変くどい。前著も結論先取りめいたところはあったが、書き振りはもっと端的でエレガントだった。いったいどうしてしまったのか。
ひとつ思ったのは、前著は「視覚」という感覚そのものを扱っていたのに対して、本書は「音楽」という、文化の産物を扱いながら、比較文化的な視点や歴史の変遷といった視点を入れず、認知科学や神経科学といった「理系」のメソッドだけで書いてしまったのがまずかったのではないか。それだったら、「聴覚」そのものの特性や、せめて話し言葉の分析にとどめておいたほうが良かったように思う。